故・安藤満プロのこと(文・黒木真生)
【原稿を持ち込めと言われた】
安藤満さんとはさほど親しくさせていただかなかったのだが、カネポンは必死だ。
9月1日発売の「近代麻雀」で故・安藤満プロの物語をスタートさせるから、何か書けと。
というわけで、接点が少ないなりに書かせていただく。
初めてお会いした場所は忘れたが居酒屋のようなところだったと思う。私は連盟に入ったばかりだった。1年目か2年目である。
ハッキリ覚えているのは「原稿を書けなきゃ食えない」と言われたことだった。
当時、麻雀のプロは「原稿が書けないとダメ」と言われていて、実際に紙媒体しか活躍の場がなかったのである。
安藤さんはその当時「モンド21杯」というスカパー!の番組に出てはいたが、当然、それだけでは生活できなかった。
ほとんどのプロ雀士たちが、せっせと原稿を書いて、麻雀を打って暮らしていたのだ。
だから荒正義さんからも、安藤さんからも「原稿を書け」と言われいてた。
だが、私は作文すらロクに書いたことがない。いつも学校では「何を書いていいかわからへんし」と、原稿用紙の前でじっとしているだけという状態だった。
原稿書くといっても、何を書いたらいいんですか?
「それは自分で考えなきゃ。キミらだってもうプロなんだから」
何か書けたとして、何にも掲載されないじゃないですか。
「持ち込みしてみなよ。竹書房に」
近代麻雀に原稿を載せてくれるんですか? そんな簡単に。
「載せてくれるわけないでしょ」
安藤さんはそう言って笑い「でも、顔と名前ぐらい覚えてくれるじゃん。付き合いが始まるじゃん。編集者に原稿の書き方教えてもらえるじゃん、しかも無料で」と言った。
それでいつか載せてもらえる日がくるんですか?
「来ないことの方が多いと思う。でも、もし君たちがタイトル戦で優勝したとするじゃない。そしたらそのことを記事で扱ってくれるかもしれない。知らない小僧が優勝してもスルーされるけど、いつも編集部に来る若い奴っていう認識だったら、載せてくれるかもしれない。それが人間の情ってもんでしょ」
安藤さんはそれをやってきた人だったのだ。
フリーランスとしては当たり前だが、当時からそれができるプロ雀士は、そんなにたくさんいなかった。
井出洋介さんと馬場裕一さんは、安藤さんよりだいぶ先に竹書房で原稿を書いていた。
その2人に追いつき追い越すためには、そういう地道なことから始めたのだと教えてくれた。
でも、安藤さんは編集者を紹介してくれたりはしなかった。
「商売敵になるかもしれない人に紹介するほどお人よしじゃないよ。これでもずいぶん、手の内を明かした方だよね」
私なんかが商売敵になるわけないと思ったが、安藤さんは色々なケースを見てきたのだと思う。
今でこそ、近代麻雀はプロ雀士のことを扱ってはくれるが、当時は小さな囲み記事を書かせてもらうだけでもありがたいという時代だった。小さなパイを複数のトッププロたちが奪い合うような状況だったのである。
私はそれなりに感銘を受けたが、結局は何もしなかった。原稿だって1文字も書こうという気にはなれなかった。
私には安藤さんのようなガッツがなかった。
【荒さんのこと】
次に私が聞いたのは荒正義さんのことである。
安藤さんと荒さんのどちらが強いのか? それが私たち当時の若手プロの興味のひとつだった。
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