見出し画像

体操宮田選手の五輪辞退事件はプロ麻雀界ならどうなっていたか


【なぜ二派に分かれて争うのか】

 体操の宮田笙子選手が喫煙と飲酒をしてしまい、7月下旬から始まるパリでのオリンピック出場を辞退した。

 「こんな直前に、なんてバカなことをしたんだ」というのがほとんどの人の感想だと思うが、そこから先が大きく分かれていて「でも、たかがタバコと酒だし出られないのは厳しすぎない?」というのと「ルールを守るのは当たり前なのだから辞退は当然」というのがある。
 これもまあ、いずれも正常な反応だと思うのだが、怖いのは二派に分かれて「戦い」のようになっていることだ。
 こんなもの、冷静に考えたら「自分とは一切関係のないアマチュア体操選手が、ルール違反をして競技会に出られなくなった」というだけの話で、それに対して「無関係な人たちの感想」が「戦い」にまで発展するのはヤバくないか?
 まだ、宮田選手をずっと応援していたファンや関係者、関係各社が強烈な意見を言うのなら気持ちは分かるのだが、この件があるまで宮田選手のことなど知らなかった人たちまで激怒しているのは本当に怖い。
 そもそも「厳しすぎるよ」と言っている人は、宮田選手個人の目線で話をしている。一人の若者の将来を考えたら「何とかならんかな」と思うのが普通の感情だ。
 一方で「出場辞退は当然」と言っている人は組織論や社会全体の目線で話をしている。これはこれで正論だが、個人の感情とは一致しない。だから最初から議論する必要などないというか、違う話をしているのだから、噛み合うわけがない。

 私の目には最近、世の中の「分断」がどんどん広がっていて「X」での言い争いも激化しているように見える。都知事選もそうで、もう選挙は終わっているのに、ずっと特定候補者の支持者同士がバチバチと喧嘩をしている。トランプ大統領が狙撃された時も「自作自演」というあり得ない話を持ち出してまで「論戦」に持ち込もうとする人が多くて驚いた。
 世の中は複雑すぎて「分断」がエスカレートしているのか、元々あったものがSNSによって可視化されただけなのか、それすらも分からない。
 だから分からないなりに、自分たちの身を護る方法を考えるしかないのだろう。

【厳格化の加速装置】

 noteのメンバーシップの掲示板に「ニュース程度しか見知りませんが、『スポンサー』『エンタメビジネス』の被害者の立場からの意見を知りたいです」という意見が書き込まれた。

ここから先は

3,378字
この記事のみ ¥ 400

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?