プロの批判とアマの批判の違い
【安全な位置から批判したい】
定期的にこういう話題になる。
私の基本的なスタンスは「批判は自由」だが「その結果はすべて自分に降りかかる」である。
だから好きに批判をすれば良いし、その代わり相手からブロックされたり反撃されても「自己責任」であり「当然の結果」だと思う。
私が嫌いなのは「批判はしたい」けど「反撃はしないでほしい」とか「批判の許可をもらいたい」という「批判特権」を得ようとする言動だ。
そんなものもらえるわけないのだが、なぜ「もらえると錯覚」してしまうのか。
そこから説明しないと分からない人が多いようなので、記事の題材にすることにした。
ちなみに、今回の「批判」は「誹謗中傷」や「悪口」ではなく「正当かつ紳士的な態度の批判」だと定義する。
そうしないと「悪口とかと一緒にするな」というトンチンカンすぎる反論がきて、話が前に進まないからだ。
つい最近も、フォロワーさんとの会話の中で、私が「批判の意味は(本人にとっては)実はほとんどない」「(本人にとっては、分かり切ったことでもあるので)ただウザいだけ」「批判する人は(対象の本人からは)嫌われる」という話をしていたら、第三者がそれを否定してきた。
んー。別にあんたに言った訳じゃないんだけどな。
「私はそう思う」というのを、話の流れの中で言っただけであって、そのフォロワーさんが言ってくるなら「なるほど、あなたはそういう考えなのですね」と尊重して終わりだ。お互いの意見が違うからといって喧嘩腰になる必要もないし、こちらの意見を押し付けたり、逆に自分が迎合する必要もない。
でも、私にちょっかいをかけてきた人は「自分が大好きな『批判』を否定するコイツを野放しにしたら、批判は悪という雰囲気が作られてしまう」と思ったのだろう。
だから終始「正統な批判はむしろ業界や本人のためだし、いいでしょ」という論調なのだが、私はそもそも善悪を論じていない。
言われた本人は「嫌」でしょ、ていう話しかしていないのだが、それが最後まで伝わらなかった。
たぶん、その人は他人の話には興味がなく「自分が大好きな遊びである『批判』を安全安心にやらせてくれ」という気持ちでいっぱいなのだろう。
なぜ、こんな風にワガママな「批判したがり」が育つのか、その理由を話す。
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