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麻雀の歴史⑤ プロ雀士が誕生した時代(文・黒木真生)

【プロが悪印象だった時代】

 いま「麻雀のプロ」といえば、こちらの画像のようなイメージだ。

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ユニフォーム姿の優しいお兄さんが子供たちに麻雀を教えている。この光景を見て「子供に麻雀を教えるなんて非常識だ!」という人はあまりいないだろう。
 白鳥翔プロの姿を見て「ちょっと金髪がキツイ」とか「ツイッターのアカウントを分けている意味がわからない」という大人たちがいたとしても、教わっている子供たちの笑顔は無邪気だ。


 しかし、かつては「麻雀=賭博」であり「麻雀のプロ」は忌み嫌われる存在だった。

 どういうことか。
 「麻雀のプロ」が「麻雀のプロ」を名乗るようになった直前。今から50数年前の話から始めよう。

 麻雀のルールがほとんど現行のものになって、ブー麻雀が東京では廃れ「リーチ麻雀」全盛になった頃、まだ麻雀プロ団体は1つもなかった。
 だが、競技麻雀団体は4団体存在していた。

あああ


 つまり、ある部分では現在と似たような状態だったわけである。

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 競技麻雀団体の人たちがプロを名乗っていたかどうかというのは微妙なところで、名乗っていたようないないような、という状況であった。
 
 実はこの当時、麻雀の打ち手として「プロ」を名乗ると「くろうと」という意味にとられることが多かった。「くろうと」は「しろうと」の反対の言葉で、ある物事に精通しているという意味なのだが、こと当時の麻雀においては、かなりネガティブなイメージで捉えられていた。
 「くろうと」は「玄人」と書かれ、「玄人」はスラング的に「バイニン」とルビをふられる場合もある。
 つまり「くろうと」には「イカサマ師」という側面も含んでおり「素人には絶対に負けないプロ」という意味あいが強かったのである。

 「近代麻雀」の創刊は1973年(昭和48年)だが、誌面上で「プロ」という言葉を使わないでくれというクレームが「全国麻雀業組合総連合会」から入ったこともあるという。全国の麻雀荘がイカサマ師たちに苦しめられてきたのだから、その呼称はいただけないというのが理由だった。
 つまり、約50年前の時点で「プロ」は忌み嫌われていたのである。それも同じ業界の内部から。

 当時の紙媒体に「プロ」と言う言葉が出てくることはあった。また、スポーツ新聞などに競技麻雀団体所属者がコラムを連載するなど、実質的なプロ活動は行っていた。だが、競技麻雀団体が「プロ団体」を名乗ることはなかった。
 彼らが「プロ」という呼称の代わりに使ったのは「段位」だった。将棋や囲碁、空手や柔道などのように「段位」を用いて権威を高めようとしていたのだ。
 

【果たし状を叩きつけた麻雀新撰組】

 そこにトンデモない集団が現れた。
 阿佐田哲也率いる「麻雀新撰組」である。
 

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