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プロ雀士スーパースター列伝 瑞原明奈編

【ワセジョ】

 正直言うと、私は瑞原明奈が苦手だった。
 スキがなく、視線が冷たく、美形で高学歴で、いちいち言うことがもっともだからだ。
 
 なんでなんだろ。

 あ「ワセジョ」だからか。
 
 その理由が一番しっくりきた。

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 実は私も30年ぐらい前に、早稲田大学に籍があった。途中で辞めてしまったから学歴には入らないのだが、4年間、軟式野球のサークル活動をやっていたので、その「ノリ」はわかっている。
 ワセジョは当時ひどい扱いを受けていた。
 
 飲み会で会計が発表される際「3年、6千円! 2年、4千円! 1年、千円! 女子、タダ!」と順に発表され、最後に「ワセジョ、2千円!」とまるでオチのように言われるのだ。
 私は初めて参加した際「そんなアホな!」と、冗談だと思って笑っていたら、隣にいたワセジョの先輩が財布から2千円を出して幹事に渡していた。

 えっ、マジなんですか?

 「ワセジョだからね」

 その人はクールに言っていたが、私は恐ろしいものを見たと思った。

 こういうオンナが将来エリートになって、社会に復讐しようとするのではないだろうか。
 そんなことを考えていた。

 瑞原さんは、ケタケタと笑った。

 「私の時代に、そんな風習はありませんでした。ワセジョという言葉は残っていましたし、よく言われましたけど、そんなに差別とかひどいとかは思ったことないです」

 思ったよりも声に冷たい印象はなかった。
 麻雀を打っている時は、もっと冷徹なイメージがあったが、オフの時は違うのだろうか。

【映画製作の夢】

 瑞原明奈は、中学三年生の時に映画の制作に憧れるようになった。
 影響を受けた特定の映画というものはない。ただ、アメリカ映画が好きだった。

 早稲田大学に入って、映画を作るサークルを選んだ。
 脚本を自分で書き、カメラを自分で回し、ロケハン(撮影場所の下見)をして編集もする。役者の手配も自分でする。もちろん、プロの役者は頼めないから、サークル仲間や友人を頼るしかない。また、仲間には照明や録音、助監督などを頼まなければ映画は作れない。
 そうやって、自主制作映画を何本か撮った。

 自分が撮るよりも、撮られる側の女優になろうと思わなかったんですか?
 ベタな質問をしたが、

 「そういうことを思ったことは一度もないです」
 
 と返された。

 「あまり人前に出るのが好きなわけではないんです」

 意外でもあったし、何となく分かるような気もした。
 
 大学の2年生が終わったところで留学を経験した。アメリカのオレゴン州にあるポートランドという街に住んだ。アメリカの「今住みたい街ランキング1位」になっている所だ。
 
 その頃には、自分には映画制作の才能がないことに気づいていた。
 約1年経って日本に帰った後は、あまりサークル活動に参加しなくなっていた。
 
 だが、映画への愛情を失ったわけではなかった。
 映画に携わるために、配給の仕事をしたいと思うようになった。
 配給とはつまり、映画の営業みたいな仕事である。
 
 どんどん、私の中の瑞原明奈像が崩れていく。
 Mリーグでの戦いぶりを見ていた私は、もう少し瑞原さんは強情というか、我を通そうとする人だと思っていた。
 
 でも、本質は「柔」の人なのではないだろうか。
 もしくは、若くして老成していたのかもしれない。

 普通、20歳前後の若者というのは、もう少しバカである。
 映画製作に憧れれば、無理にでも映画の世界に飛び込んで、そこで無能だ下手くそだと叩かれてから己を知る。それでも飯を食っていかねばならないから、何かしらやれることを見つけて生き延びようとする。
 
 逆に、早い内に自分の限界を知ってしまったら、だいたいはグレる。もしくはスネるか、ブーたれる。
 
 もちろん、女は男よりも精神年齢が高いし、女より圧倒的に男の方がバカである。
 それでも、映画を作りたいという中学三年生の「衝動」が大学時代まで続いていたとしたら、それは相当なものであったはずだ。
 その「衝動」を抑えて、現実を見て方針を変更した。
 しかも、他の世界に逃げようとしたのではなく、愛する映画を世に広めるための仕事を選ぼうとしたのである。

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