プロ麻雀界近代史 森山さんとの出会い
【森山馬場のがっぷり四つ】
前回の記事の最後に書いた「私なんかよりもずっと前から裏方仕事で日本プロ麻雀連盟を支えてきた人」とは、言うまでもなく森山茂和プロである。
森山さんと初めて会ったのは、私がまだ神戸と東京を往復していた1998年頃で、高田馬場にあった「ミンミンハウス」という雀荘だった。ここは私の友人が経営していたので、上京するたびに遊びに行っていた。森山さんは後に奥様になる方と一緒に打たれていて、そこに私が入ったのだった。
普通にフリーで打っただけだったが、対局が終わった後、森山さんから「S(奥様の名前)ちゃんと一緒に打ってくれてありがとう!」と爽やかに言われた。第一印象は、知事になる前の森田健作さんとか、松岡修造さんみたいな感じの人だなと思った。
森山さんは、ちゃんと読みを入れて踏み込んで麻雀を打っていたのだが、私は「めちゃくちゃ何でも切ってくる人だなー」ぐらいに思っていた。身体がデカくて打牌も強目だから、なおさらそういう風に思ったのかもしれない。
そのことを友人に言ったら「お前の目は節穴か。あの人の雀力の高さが分かんない内はド素人だな。ああいう適当にやってるっぽい雰囲気に騙されちゃいけない。危険牌をバンバン切ってくるけど、ちゃんとよく見ていれば、読みに裏打ちされているってことが分かるんだよ」と言われた。
私は「ふーん」としか思わなかったが、自分よりはるかに強い友人が言うのだからそうなのだろうと思った。
だいぶ後になってから、森山さんの強さを少しは理解できるようになった。
麻雀企画集団バビロンを作った馬場裕一プロが森山さんと再会したのはその一年後ぐらいだった。
竹書房が「最高位戦」を主催していた1970年代に2人は出会っている。馬場さんはまだ高校生で、森山さんは8歳年上で、大学を卒業して数年経った頃だった。2人はその頃から仲が良かったが「最高位戦八百長疑惑騒動」があった後、離れ離れになった。
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