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他家の手牌が見える席【作・アメジスト机】

【手牌が見える】

(もしかして、下家の手牌が窓ガラスに映ってるんじゃないか?)
中年の女店主に

「磯野プロ、こちらにどうぞ」

と言われたときに感じた違和感。

打ち始めてすぐに、それが何か分かった。

この卓は店内の隅っこにあり、1席(卓の下にスイッチがある席で河の一部に小さな切れ込みがある)の後ろにガラス窓がある。

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 そのガラス窓に1席の手牌が映り、4席にいる僕から見えるのだ。
 (誰も気づいてないのかな?)
 僕はなるべくそっちを見ないようにして、打ち続けた。

 「磯野君、今からちょっとフリー打たない?」
 先輩プロの佐門さんに誘われたのは、若手プロ向け勉強会の打ち上げのあとだった。

 今回の講師はBリーグ所属の佐門さんで、終わった後は10人くらいで焼き鳥屋に繰り出したけど、もうべろべろに酔っぱらっている奴も多かった。その中で佐門さんは、僕にだけ声をかけてくれたのだ。
「行きつけのフリーがあってさ、営業協力したいんだよ、行こう」
「はい、終電までなら大丈夫です!」
「よし、道々ざっとルール説明するわ」
 大塚駅近くに、その雀荘「ボヤージュ」はあった。入店すると7卓あるうちの4卓が稼働していた。
「ママ、ご新規の磯野プロ。ルールはほぼ大丈夫。俺とは別卓でね」
「はい、いつもご紹介ありがとうございます」
「え、佐門さん、別卓なんですか?」
「あたりまえ。強いもん同士でつぶし合ってどうすんの。ここでは稼げ稼げ」
 先輩プロに「強いもん」と言われてうれしかった。
「じゃあ磯野プロ、こちらにどうぞ。いままだ東1局です。佐門さんはちょっと待ってね。南2局」
 僕はメンバーが手を上げている席に座った。その時、なんとんなく景色がおかしいと思ったのは、酔いのせいだけではなかった。下家の手牌が見える……。
 待ち席の佐門さんのほうを見ると、佐門さんもこっちを見ている。瓶ビールを手酌でやっているその表情から、僕は何も読み取ることができなかった。

情報は利用するべき?

 「おーい、磯野君。そろそろラス半にしよう」
 あっちの卓から声がかかり、僕は「はい」と返事した。何回打っただろう? 間違いなく僕は勝っていた。それはもちろん、プロなんだから巷の雀荘では勝って当然。そう言いたいところだけど、今日の麻雀は僕に有利だった。
 下家の客がリーチしたとき、僕には待ちが見えるのだ。見ようと思っているわけじゃないけど、目に入ってしまう。目に入ってしまう以上はその情報を使ってしまう。それが何が悪い?
 また、流局間際になると下家に食わせてはいけない牌というのがある。自分が聴牌できないのに下家に形式聴牌を許しちゃいけない。そんなとき、僕は打牌を間違わなかった。麻雀は、多くの人々にとって遊びかもしれない。でも、僕にとっては戦いなんだから。
 最初は違和感を感じ、下家の手牌が映った窓ガラスを盗み見ることに罪悪感を感じていたけど、気が付くと僕は堂々と、その情報を利用して打っていた。
「どうだ、勝ったか?」
「はい、全部連対でした」
「いい店だろ?」
「はい、でも……」
「でもなんだ?」
 僕は、下家の手牌が見えることを佐門さんに言うべきか迷った。

 佐門さんがそのことを知らないなら「ずるいことをして勝ったヤツ」と思われてしまうかもしれない。
「いえ、何でもないです。今度はお昼にしらふで来ようかなって」
「おう、そうしてやってくれよ。あのママ、けっこう頑張ってるから」
「はい」
 昼間なら、明るいから窓に映った手牌は見えにくいだろう。そもそもあの席に座らないかもしれないし。
「今日はどうもありがとうございました!」
 僕は佐門さんと別れ、今日の勝ち分をスイカにチャージして電車に乗った。

「いらっしゃい、磯野さん。また来てくれてうれしいです!」
 数日後の午後、僕は一人でボヤージュに行ってみた。前回と同じ卓に案内されたけど、席が違う。僕は3席だ。
 手牌が窓に映る1席には中年の女性客が座っていて、その手牌が見える4席には30歳くらいのいかつい男性が座っている。どこかで見たような……?
「磯野さんは、塩田さんの後輩ですね」
とママに言われて思い出した。新日本麻雀プロ連合の塩田雄二プロだ。リーグ戦ではまだ対戦したことはないけど、同じDリーグにいる。
「よろしくお願いします」
「よろしくー」
 お互いに軽く挨拶をして打ち始めた。1席の後ろの窓の外は予想通り明るくて、これなら手牌は見えないだろう。僕はしばらく普通に麻雀を打っていた。
 でも、夕方になって日が陰ってくると、状況が変わった。4席の塩田プロの動きが明らかにおかしい。クビをやたらに動かしている。
(あ、映っているのか……)
外が暗くなったから、1席のおばさんの手が窓に映るんだろう。それを見るために、クビを傾けているのがわかる。
(僕も、あんなふうに窓を見ていたのかな……? 露骨だな)
 おばさんがリーチした時、塩田プロは、かなり危険だと思われる牌を押した。
(待ちがわかってるから押せるんだな)
 僕は当然、それを利用する打ち方になる。おばさんのリーチには一発目さえ放銃しなければ、後はどんどん塩田プロが通る牌を増やしてくれる。塩田プロは僕の下家だから、その押し方で塩田プロの手の進み具合もある程度推し測れる。当然僕の押し引きも変わってきて、余計な放銃は回避できている気がした。
(1人の手牌が他の1人に見えるというだけで、麻雀ってこんなに打ちやすくなるのか……)
 それはもちろん、塩田プロをある程度信用できるからなんだろう。
 Dリーグとはいえ先輩プロだ。僕は塩田プロに便乗するような打ち方で、その日も順調に点棒を増やしていった。2席のおじさんは自分の手ばかりをジーっと見ているような人で、ただ麻雀を打っているのが楽しい、という感じだ。でも時々
「トイメンさん、強いねえ。それ、通るのかい」
などと言ってニタニタ笑っていた。
「あーダメだわ! 今日は勝てない!」
 1席にいるおばさんがギブアップした。そりゃそうだろう。待ちは塩田プロに透けて見えていて安全牌をどんどん増やすので出アガリの可能性は低くなる。鳴き手だと塩田プロは牌をしぼるだろうからアガリにくくなる。よほどツモがよくないと、勝てるはずがない。
 
 おばさんの後に、大学生くらいの男の子が座った。ママには「タラちゃん」と呼ばれている。
「よろしくお願いします」
 さっきのおばさんよりは打てるかもしれないけど、手牌が透けては塩田さんに勝てないだろう。
 打ち始めると、塩田さんの動きが激しくなった。手牌が見にくいんだろうか? さっきよりもあちこちクビを傾けている。あまりにも不自然だ。
(僕があの席に座った時は、あんなにクビを動かさないようにしよう……目だけで見よう)
 そんなことを考えていると、1席のタラちゃんがリーチをかけた。一発目、塩田プロが3pを切った。
「ロン」
 え? 塩田プロがリーチに一発で放銃? 
 開けられた手を見て僕は驚いた。

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 理牌していない。しかもマンズは全部天地が逆だ。
「失礼」
 そう言ってタラちゃんは理牌し

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「メンピン一発ドラ1で8000の1枚です」
と言った。塩田プロの一発放銃を、僕はその時初めて見た。
(あんなにクビを動かしていたのは、手牌がよく見えなかったからか……。理牌してなかったら見えてもわからないかもな)
「ロン、12000」
 次の局も、タラちゃんが塩田プロから8pでアガッた。倒す前に少し理牌に時間をかけたけど、あけた手は

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(下家がピンズのメンチンなのにピンズを切ったのか……)
あれだけ必死で窓をにらみつけていて、それはちょっとぬるいんじゃないか。
 塩田プロは「ラス半!」と言い、その半荘はもうクビを動かそうとはしなかった。窓に映る手牌を見るのを諦めたようだった。
 タラちゃんは自分の手牌が窓に映って上家に見えることを知っていたのか。その前提で理牌しないで打っていたのだろうか? いろんなことが頭の中を巡り、僕はその半荘は麻雀に集中できなかった。
 塩田プロが抜けたタイミングで2席の客が

「場所替えしたい。この席はアガれない」

と言い出した。
「他のお客様さえよろしければいいですよ」
ということになって、つかみ取りをした結果、僕は4席になった。

「場所替えしたい」と言った当人が1席。タラちゃんが3席。別の常連さんが2席に入って新しい戦いが始まった。
 僕はもちろん、1席の手牌をのぞき見しながら打つことになった。見えるんだから仕方ない。はっきり映って見えるものを利用しない手はない。ここはフリーの雀荘。ストリートファイトの現場なんだ。
 さっきの塩田プロみたいに露骨にクビを動かさないように、視線を窓にやりながら打つことにした。そんな僕のことを、上家のタラちゃんがどう思っているのかは知らないけど、彼も、僕が得た情報に便乗する打ち方になるのが普通だ。現に1席のおじさんのリーチに対して、僕が堂々と危険牌を通していくのに合わせ打っている。
(タラちゃんが1席じゃなくてよかった)
と思った。理牌しないで打たれたら、僕も窓からの情報を処理できるかどうかわからない。
 そこから僕は勝ち続け、終電までにまた相当の点棒をかき集めることに成功した。
 僕が抜けた席に座ることになったママが
「ちょっと寒いから、ここ閉めますね」
と、さっとカーテンを引いた。これでもう1席の手牌は見えなくなった。

そんな麻雀でいいの?

 その後も、僕は毎日のように「ボヤージュ」に通い詰めた。昼間はカルチャースクールの麻雀教室を手伝ったり、引っ越し屋のアルバイトをしたりだけど、夕方以降は時間がある。どうせどこかで麻雀を打つなら、勝ちやすい店に行くのは当たり前だ。
 ママは、僕をいつもかどっこの卓に案内してくれた。しかも4席が多かった。結局「この席から下家の手が見えるんです」とは誰にも言えないまま、僕は勝ち続けた。
 ずるいことをしている、という意識はどんどん薄くなっていった。ここで稼ぐことで生活が楽になり、引っ越し屋のアルバイトを減らして麻雀関係のアルバイトを増やせたらそれでいい。僕がまともなプロ活動をしていくために、ボヤージュの麻雀は必要なんだ。ママはそれをわかって応援してくれているのかも……、そんなふうに考えるようになった。
 僕が4席に座れないときは、だいたい先客がいた。それはだいたい塩田プロだった。相変わらずいかつい大きな体を椅子に押し込め、太いクビをぐるぐる動かしながら麻雀を打っている。
(この人もここの稼ぎが大事なんだろう)
 僕は、塩田プロが4席にいるときは2席か3席に座り、便乗してリスクの低い麻雀を打った。僕が1席に案内されることはなかったし、あっても「待ちます」と断っただろう。

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