妻が雀荘に乗り込んできた!【アメジスト机】
妻が雀荘に乗り込んできた
「赤井さん! 店に戻ってきてください!」
うっかり取ってしまった電話の向こうで、アルバイトの葛城が叫んでいる。やっと休憩を取って、近くの喫茶店でグラビアページを開けたところだったのに、何だよ。ラインじゃだめなのかよ。
「宝田さんの奥さんが来店されて、マユミ店長ともめてます」
「宝田さんの奥さん?」
「かなりキツイ人で、今、口げんかしてます。戻ってきてください!」
マユミさんは、俺の働く雀荘「アチェト」のオーナーで店長だ。
「店の責任者が現場にいるんなら、マユミさんが解決すればいいじゃん」
「それが、麻雀で勝負を付けることになりそうで……」
と、葛城の声がトーンダウンする。
「はあ? どういうこと?」
「今から、宝田さんの出禁を賭けた勝負が始まりそうなんです」
なんだ? 漫画か?
注文していたパスタセットが運ばれて来た。
「今、飯が来たとこなんだよ。まかせるわ」
「赤井さん、戻ってきたほうがいいですよ」
「なんでだよ?」
「見といたほうがいいですよ。後で、ここにいる全員からこの話を何回も聞かされることになりますよ……」
そういうことか。葛城、自分が解決に困ってるというよりは、一緒に見物したいんだな。
「わかった。すぐ食って戻るわ」
「お願いしますね」
やれやれ。俺はアラビアータに粉チーズをかけながら、数日前の宝田さんとの会話を思い出していた。
「ヨメに怒られちゃってね」
「なんでですか?」
「僕が、ずっとこのアチェトで麻雀してるのがヨメにバレて」
「奥さん、麻雀きらいなんですか?」
「というか、ヨメが働いてる間に僕が遊んでるのが気に入らなかったみたいなんだ」
「まあ、そういうご家庭は多いみたいですよ」
その会話を横で聞いていたマユミ店長が口をはさんできた。
「宝田さん、奥さんにバレないように来てよ! そのくらい頭使って! みんな工夫してくれてるのよ」
マユミ店長はいつもこうだ。元はキャバクラで働いていたせいか、客を誘うやり方がかなり強引だ。色仕掛けもあるし、飯を食ってからの同伴出勤、勤務が終わってからのアフターセット、家に送ってもらうとか、とにかく「一緒に行きましょう」「一緒に帰りましょう」と客を誘いまくる。そして、女性従業員やゲストプロには「店外での行動は自己責任でね」と言う。
おかげでこの「アチェト」は、世に言うギャル雀よりもさらにキャバクラっぽい店になっている。ゲストに若い女流プロを入れるから追っかけの客も来るし、もともとマユミ店長の取り巻きもいるし、結構繁盛している。本走の途中で卓を止めて「お出迎え」や「お見送り」をすることもある。俺はそれはキライだけど。
宝田さんの件は、俺は雀荘としての現実路線を探りたい。
「バレてしまったのはしかたないですよね。アチェトの麻雀は高レートでもないし、奥さんに認めてもらえないんですか?」
「いや、それがね、僕とヨメが麻雀して、僕が勝ったら続けていいからヨメが勝ったらもう行かないっていう勝負をしたんだよ」
「奥さんも、麻雀ができるんですか?」
「半年くらい前にバレたときはまったく知らなかったんだけど、それから猛勉強して打てるようになって、こないだ勝負したら僕が負けたんだよ」
「へー。宝田さんより強いなんて、奥さん、相当打てますね?」
と言いながら、なんでそんな勝負したんだよ、バカか?と思う。
「1回勝負だから負けたのはたまたまだと思うんだけど。しかも、他の2人はヨメの部下だったから組まれてたかもしれないし……。でも約束は約束だから、僕、麻雀しちゃいけないことになってしまって」
じゃあ、ここにいるのはなぜだ?
「でも、また一昨日来たのがそれがバレてしまって、今もめてるんだ」
やっぱりこの人、バカなのか。
つまり半年前にヨメにバレて怒られて、半年後に「負けたらもう行かない」と約束した勝負で負けて、それでも雀荘に行ってることがバレて怒られてるわけか。それは約束を破る夫のほうが悪いだろう。
そもそも、そんな勝負をするのが悪い。麻雀なんか、どう転ぶかわからないんだから、大事な賭けに使うほうがどうかしている。
漫画やVシネマの見過ぎなんだよ。
「でもさあ」
マユミ店長が言う。
「こうやって宝田さんがまた来てくれるのうれしいな。また来てね!」
人の話を聞いてるのか聞いてないのか、マユミ店長はいっつもこの調子だ。客は店に来てゲーム代さえ落としてくれるなら、その金はどこで何をして持ってきてもかまわない。この店の中で、自分をちやほやしてくれるなら、他のところではどこで何をしていてもかまわない。そういう考えだ。
「宝田さんって、自営業でしたっけ?」
「うん、うち、美容室なんだ。もともと僕の親がやってた美容室をヨメが引き継いで拡張して支店も出して、かなり手広くやってる」
「宝田さんも美容師さんなんですか?」
「いや、僕は一応役員だけど時々帳簿見て銀行に行くくらい。だからずっとここで麻雀してたんだ」
リアルで「髪結いの亭主」かよ。そりゃ、クズになる素質が十分だわ。自分がバリバリ稼いでる間、亭主がいわゆるギャル雀にいたら奥さんはおもしろくないだろう。
「でもさあ、宝田さん、また来てくれるよね?」
男の二の腕にマユミさんはそっと手を添えてお願いする。俺は鳥肌が立つ。
「うん。でも、ちょっと回数減るかも」
「いいのよ。来られるときにいっぱい遊んでね」
「うん、また来るよ」
そんなことがあってまだ数日。
乗り込んできた宝田さんの奥さんは、どんな人なんだろう。
「ごちそうさま」
紙ナプキンで口を拭い、俺は喫茶店を後にした。
半荘1回、着順勝負で
「あ、赤井さん、お帰りなさい」
そうっと店に入ると、バイト店員のリカちゃんが小声で言った。
「葛城から連絡もらった」
「葛城さん、卓に入ってます」
「え」
「赤井さんが戻ってこないから、マユミ店長に言われてしぶしぶ」
「じゃあ奥さん、ずいぶんアウェーじゃん」
アチェトは7卓の雀荘で、いま稼働しているのは3卓。1つは朝からのセット、もう一つは普通のフリー、そしてもう一つが……問題の勝負が行われている卓だ。
起家からマユミ店長、宝田さん、奥さん、そして葛城が入っている。
その周りを立ち番の2人とお客さんが5人、取り巻いて見ている。店の真ん中じゃなくてすみっこの卓なので、みんなに見えるのはマユミ店長と葛城の手だ。
俺に気付いて、マユミ店長が声をかけてきた。
「赤井さん、今ちょっと、大変な勝負をしてるの」
「そうなんですか」
「宝田さんの奥さんのホタルさんと私の着順勝負で半荘1回。ルールはうちのハウスルール。私が勝ったら宝田さんはこれからもうちの店に来てくれるけど、ホタルさんが勝ったらもう来てもらえないの」
「はあ」
「だから、私、頑張って打ってるの」
「わかりました」
「応援して」
「ここで拝見します」
女王様の舞台?
それはそうと、立ち見している客たちはどういうつもりだ? 雀荘なんだから麻雀打てよ。この店は基本的に立ち見お断りなんだぞ。
「あ、赤井さん」
マユミ店長が言う。
「見学のお客様はみなさん有料ドリンクを買ってくれてるから大丈夫だからね」
「わかりました」
さすが水商売出身というか、そこはしっかりしている。よく見ると立ち見の客はみんな手に缶ビールや酎ハイ、レッドブルなんかを持っている。外で買えば200円くらいなのにこの店では400~500円。ワンゲーム分はもらってるわけか。じゃ、いいや。
「俺、こっちで見させてもらいます」
マユミさんと宝田さんの間に滑り込む。
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