家族に100万円を渡すことができました【庄田祐生】
実家のにおいが好きだ。
目を閉じていてもどこに何があるのか分かる。
29年間生活してきた
そんな実家が無くなることになった。
あの地震から8ヶ月が経った。
僕は2月半ばに東京に戻ったが、輪島を忘れることは1日も無かった。
地震の速報が入るたびに恐怖を感じる。
家族が、家が、いつ無くなってもおかしくない状態で毎日生活していた。
僕にできることはないか、考えてはみたものの
結論は出なかった。
家に調査が入ったらしい。
ほぼ全ての世帯に調査員が来て、どれほどの被害があるのか判断される。
実家は「準半壊」だった。
「準半壊」といっても決して安全なわけではなく
いつ家が崩れてもおかしくない状態だった。
「準半壊」の1つ上、「半壊」判定を受けると
仮設住宅への入居も認められ、家の公費解体(自治体のお金で家を解体できる)も可能になる。
「準半壊」と「半壊」の差は歴然としていた。
仮設住宅に入ることもできない。
家を解体するにも何百万円かかる。
定年間近の両親も、途方にくれた。
ただ生きているだけ。なにかを諦めている。
風呂場もトイレもキッチンも、全てヒビが入っていた。でもここで住まなきゃいけない。
1つ直すにしても数十万円。
なけなしのお金を使い、ようやく生活できるほどに実家は回復した。
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