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勝負師~episode1瀬戸熊直樹【文・荒正義】

 

「あいつは、いいぞ!」


有楽町にある広い雀荘で、一人の若者の背中を顎でしゃくり、伊藤優孝が私に言った。
「あいつは、いいぞ!」
このとき瀬戸熊は、プロの一年生だった。伊藤は、そのプロたちにマナーと礼儀、技術を教える研修の長だった。
「麻雀か、それとも人か?」と、私は聞いた。
「どっちもOKだ!」
「瀬戸熊という名だ。覚えておいてくれ!」
人を褒めたことのない、伊藤が言ったのだ。私は、本能的に彼の名を心に刻んだ。
 
(なんか、強そうな名だナ…)と、私は思った。
私は北海道生まれだ。北国の最強動物は、ヒグマである。大人10人が、かかっても勝てないのだ。素手で向かえば、必ず殺される。名字に「熊」の名がつくのは珍しい。
 
この世に麻雀の強い打ち手など、ゴマンといるのだ。それは驚かない。しかし、「人」となると、話は別だ。

瀬戸熊は、1970年8月生まれ(O型)。日本プロ麻雀連盟14期生である。
父君は自衛官である(今は退官)。転勤が多く、学校もよく変わる。友達や仲間との悲しい別れがある。瀬戸熊にしては辛い時期だったと思われる。
 
この時代の麻雀プロは、食えなかった。食うすべがないのだ。瀬戸熊もそうである。
麻雀プロを目指すなら、親のすねをかじるか、雀荘に勤めるかである。会社員でもダメだ。試合が平日なら、休めないからである。
フリーの雀荘に勤めても、ゲーム代を払うから残りはわずかだ。
しかし、瀬戸熊は、後者を選んだ。麻雀の腕を磨きながら、働く方だ。
目標は、トッププロを目指してである。私もそうだった。


数年たって、あるタイトル戦で瀬戸熊と当った。ベスト16である。
ここからは5回戦で、上位2名が勝ち上がりである。あと、2回勝てば決勝戦だ。
優勝賞金は100万だ。勝てば少しは楽になるし、名も知られる。
私は50歳前後で、一番打てた時期だ。誰が相手でも、負ける気がしなかった。
この日は、瀬戸熊も調子がよく2人で勝ち上がった。上位の私たちは、場を荒れさせない阿吽の呼吸である。
そして、次回の抽選である。次はベスト8だ。
卓上には、8牌が伏せて置かれてある。
ピンズと萬子だ。
ピンズはピンズの卓だ。私は最初に4pを引いた。2人後に瀬戸熊が引いたのが2pだった。瀬戸熊はその2pを、卓上に叩きつけた。「コンチクショウ!」である。
彼の思いは、「なんで、(私と)2度も当たるのか!」である。
これが、指運。仕方のないことだ。
私には、瀬戸熊のその動作がすごく可愛く見えた。
 
翌週の土曜日は、ベスト8である。
瀬戸熊は、気合を入れて臨んできた。顔つきと打牌の音色から、それが伝わる。
しかし、勝負はもつれた。
第5戦。上は瀬戸熊と私。もう一人が、競りだった。
南3局、そのもう一人がリーチをかけて来た。私は現状1位なので、安全牌を切り様子見である。しかし、親だ。満貫か跳満を引かれると、次は瀬戸熊との着順争いになる場面だ。
リーチが打5s。私がノータイムで手出しの1m。この1mに瀬戸熊の手が止まった。
無筋である。
しかし、河には2m3mが2枚出ていたのだ。だから、その壁にも見える。瀬戸熊が打5s
私の手が、サッと開いた。

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