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タイトルを1つも獲っていない、イケメンでもない、元々なにかで有名だったわけでもない、そんな42歳がNHK出るんですよ!【文・友添敏之】

「テレビ効果で注目の園田さんとの思い出、何かあればかいてほしいです」(原文そのまま)
金本編集長から唐突にラインが来た。
おぉー!これ黒木さんのノートとかでよく見るやつやん!と、ミーハーな気持ちで嬉しくなった。

何かあればも何も、かなりあります。

そのけんさんは本物のナイスガイなのでみんな大好き。麻雀プロ界隈での仲間も多いし、僕が特別に仲良くさせてもらっているわけではないんやけど、それでも僕しか知らないそのけんさんの素顔がいくつかある。
その全てがそのけんさんの素の部分、良い男っぷりをみなさんに伝えられるものなので、僭越ながら僕が持つそのけんさんエピソードを4つ紹介しようと思う。

エピソード①まだまだ有名じゃないけど、普通じゃない先輩


僕がそのけんさんを知ったのは多分9年前くらい。
坂本さんに誘ってもらって入ったSリーグという私設リーグでのことだった。
当時から麻雀界最強の呼び声高かった多井さんがいると聞いて、他の参加者や詳細は聞かずとも、喜んで参加を決めて飛んでった。
たしか12人くらいでの開催だったと思うけど、その参加者が今振り返るとすごかった。
最強多井さん。後にMリーガーになるこの話の主人公そのけんさん。そして後にMリーガーになる堀さん。さらに後にMリーガーになる松ヶ瀬さん
そして主催者で最高位も戴冠することになる坂本さん
だけど、この頃はまだ対外的には多井さん以外は有名ではなくて、そのけんさんも僕から見たらB1リーグ(現在のA2にあたる)所属のあんま知らん先輩という位置付けだった。
Sリーグは最高位戦ルール。
1局終わるごとにタン牌(手牌を開くこと)して、写真撮影する。1半荘終わるごとにその写真でアルバムを作って、それを見ながら1局ごとの振り返りをするというスタイルだった。
それを1日4半荘。リーグ戦と同じような形で進めていって、10節くらいを消化して上位4名が決勝戦を戦う。
年によってちょっとずつ違うところはあったけど、まあだいたいこんなレギュレーションだった。
なので、そのけんさんとも1年に3回くらいは同卓することになってて、言語化することが上手なそのけんさんと一緒になるのは毎回楽しみにしてた覚えがある。
京都から鼻息荒く乗り込んでる僕はどんな些細なことでも吸収しようとがっついてたし、麻雀に自信もあったから先輩相手であっても果敢に議論していた。
今思うと結構生意気だったと思うけど、そのけんさんはその全ての議論に真っ向から付き合ってくれた。こういったシチュエーションでも、あんまり議論が長引き過ぎたら「ん-、まあ色んな考え方があるよね。まあ次いこうか?」ってなることも少なくないんやけど、そのけんさんはひたすらに自分が正しいと思うことをどこまでも論理的に説明してくれてた。
そんなある日、僕の記憶に深く刻まれている“ドラ切り七対子リーチ事件”が起きた。これは以前、キンマノートで詳しく書いたのでそちらを読んで欲しい。

僕は衝撃を受けた。プロの麻雀って訳わからんなとも思った。そしてそのけんさんがどんだけ強いのかってことは、当時の僕は全然わかってなかった。ただ、普通じゃないなこの人は、ってことだけは感じていた。
それと、Sリーグ終わりにみんなで行く打ち上げの主役はだいたいそのけんさんだった。

エピソード②東京タワーを臨む夜の公園男女7人物語

これは8年くらい前だろうか?夏だったような気がする。総会か、何か他のイベントだったか、大人数での打ち上げがあった。そして最高位戦恒例のカラオケ二次会もあった。余談だが、新津代表のカラオケは皆さんの想像通りに渋い。そして、井上陽水を歌うと喜んでくれる。
で、やっぱりカラオケは盛り上がってかなりの時間が経ってたと思うんやけど、それ終わりで流れ解散みたいになって、なぜか僕は数名で東京タワーを見ながら歩くことになった。

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