【麻雀小説】王牌は切らないでください【アメジスト机】
小さな雀荘「陣太鼓」
<王牌は切らないでください。厳禁>
壁に直接、不自然なくらい大きく書いてある。
初めてこの店に来た僕は、それに驚いた。
「あの、あれって……」
と僕が聞くと、「梶川」という名札を付けた店主らしきおじさんが
「あ、紙買ってくるのがめんどくさくて。大きすぎたかね」
と、にこにこしながら答えた。
えっと、そこじゃないんだけど。
「おうはいを切るって、どういうことですか?」
「あ、あれね、ワンパイって読むんですよ。ワンパイっていうのは、流局したときに最後に残る14枚ね。麻雀を打ちながら、山のそこに切れ目を入れたがる人、最近多いでしょ? あれ、うちの店では禁止なんです」
「そうなんですか……」
「ワンパイ」という言葉は初めて知ったけど、山はあそこで切るものだと思ってた。僕が初めて麻雀に触れたのはネット麻雀の「天鳳」。大学のゼミの歓迎会の3次会で初めてセット雀荘に連れて行かれ、見よう見まねで教えてもらいながら、ずっと切れ目を入れていた。
「あの、どうして禁止なんですか?」
「うーん、難しいこと聞くね。そうじゃない店を作りたかったというのが理由」
「え、どうして?」
つい畳みかけて聞いてしまう。意味が分からない。えんえん聞いたところで、意味があるのかどうかもわからない。
「まあ、もし、うちの店が気に入ってさ、ずっと来てくれるようになったら、また聞いてみてよ。まずはルールの説明をさせてもらっていいですか?」
「あ、はい」
「ご新規さんには、一応書いてもらってるの、これ」
差し出された紙に、名前から記入していく。こういうのを書くときは個人情報の取扱いに、少し不安を感じる。名前は、小野寺悟。これは本名でいいかな。ハンドルネームとか使うタイプの店じゃない。住所は……番地の途中までにしておこう。電話番号は、前に使ってた番号でいいや。職業は学生っと。
「東京電機大学?」
「あ、そうです」
「北千住で打たないの?」
「あ、草加にたまにラーメン食べに来ます」
「前は、チューニングで打ってた?」
「そうです」
「つぶれちゃったね」
そう。時々、蒙古タンメンを食べに草加に来て、帰りに「チューニング」でフリーを打ってたんだけど、その店がつぶれてしまった。他に草加駅近くに雀荘はないかと探していて、この「陣太鼓」を見つけたのだ。
「台はほとんど、チューニングのお下がりなんですよ。建物は古いけど、店は出来立てのほやほや。ルール説明もあまり慣れてないけど、聞いてくださいね」
「はい」
梶川さんは、手書き文字のルール表を静かに読み上げていった。ざっくり言えばごく普通のアリアリルール。最近の言い方だと「Mリーグルール」というのがわかりやすい。ただし、トビはあり、6万点終了はなし。鳴き祝儀。
ひととおりの説明をした後、梶川さんが言った。
「で、あそこに書いてあるように、王牌は切らないでくださいね」
「はい……」
「ねえ、かっちゃん! 今どこ?」
「南3です」
「じゃあ、次の半荘から打ってくださいね。少々お待ちください」
僕は、待ち席で無料サービスの麦茶を飲んだ。なんだか静かな店だ。
ああ、BGMがないのか。牌の音と、時々「ポン」「ロン」「1000点」「リーチ」などの声が聞こえる。
大学の近くにあるマルチャオやWOOとはずいぶん違うけど、チューニングで見た顔もいくつかあった。
王牌は切らないでね
「おっとご新規さん、山割っちゃ駄目だよ」
「あ、すみません」
卓に入った僕は、自分の前にドラ表示牌があったのでうっかり山を割ってしまった。
「ごめんなさい」
「いいよ、そのうち慣れるよ」
「気楽にやればいいよ」
上家と下家の常連さんらしいおじさんたちが言ってくれた。
「はい、いつも割ってるから癖がついてしまって」
「言い訳はいらない。余計なおしゃべりしないで」
トイメンのキツネ顔のオバサンにぴしゃっと言われ僕は口をつぐんだ。
「ロン。2000」
下家がアガると、点を払いながら、キツネオバサンが
「この店はね、余計なものをなくして、シンプルに静かに打つ店なのよ。だから局の途中でおしゃべりはNGね」
と言った。笑顔はなくてそっけないけど、悪い人ではなさそうだ。
「年寄りが多いからね、余計な音があると麻雀にならなくてね」
下家が言い、キツネオバサンはうんうんとうなずいている。BGMがないのも、そのせいか。山が上がってきて、それぞれ配牌を見ると、また誰もしゃべらなくなる。
「ポン」
「チー」
「リーチ」
「ロン、3900」
麻雀自体は、サクサク進む。年寄りが多いのは事実だけど、打つのが遅いってこともない。リーチが入っても、だれも「がんばりましょー!」って言わないし、カンが入っても「カンドラはパッソでーす」なんて言わない。見える情報をちゃんと見て、聞こえる情報をちゃんと聞くことでゲームが進行していく。
初めにキツネオバサンが「余計なものをなくしてシンプルに静かに打つ」と言ってくれたので、僕はこの状況をすんなり受け入れることができたみたいだ。メンツに恵まれたな、と思いながら、僕はこの不思議な雰囲気の麻雀を楽しいと思っていた。
ほんとに王牌を割ったから出禁?
「お客さん、山割っちゃダメだって」
「なんでダメなんっすか。わけわかんねえ」
僕が陣太鼓に通い始めて3か月くらいたった。その間に、こういう会話は何回も耳にした。それでもだいたいは「はい、そうでした」と客側が引き下がるが、今回の新規客は抵抗している。隣の卓から店長の声が聞こえる。
「じゃあお客様、ラス半にしてもらえますか?」
「はあ? どういうこと?」
「うちの店のルールなんで、守ってもらえないなら……」
「出禁ってこと!? 」
「まあ、そうなりますね」
「ふざけんなよ。山くらい誰だって切るだろうが!」
「当店では、お客様だけですよ」
「そんなこと言う前に、この伏せ牌オヤジを何とかしろよ」
「伏せ牌は当店では禁止してないんですよ」
「なんだそれ。わかったよ。ラス半! 二度と来ねえわ」
僕のトイメンのキツネオバサンが、
「卓、割れちゃうね。ラス半多いし、私も今から店だし」
とつぶやいた。
こっちの半荘も終わり、続行のフリー客が僕しかいない。
「すみませんね、小野寺さん。卓立たなくて」
「いえ、しかたないです」
「ねえ、よかったらうちの店で飲まない? 店長も」
「小野寺さん、行きますか? 時間あるんでしょ?」
「あ、はい……」
終電近くまで打つつもりだったから時間はある。店長はアルバイトのかっちゃんに掃除と戸締りを頼んで、僕と一緒に外に出た。
「隣のビルですよ。早水さんのスナック」
キツネオバサンは早水さんだと初めて知った。エレベータで降りて、隣のビルに移動する。階段で2階に上がり、「海峡」という看板が出ている店に入った。スナックという業態の店は初めてだけど、なんとなく「雀鬼」のVシネマとか演歌のカラオケで見たような雰囲気の店だった。
「飲めるんでしょ? 水割りでいい? 今の子はハイボールなのかな?」
「あ、はい。じゃあハイボールで」
何にとも言うことなく乾杯し、僕と店長は飲み始めた。そのタイミングで僕は、ずっと聞いてみたかったことを口にした。
「あの、どうして王牌切っちゃダメなんですか?」
「小野寺君、最初に来たときにも聞いてたよね? ずっとわからないで打ってたの?」
「ずっとよくわからないです。あのルールがなかったら、さっきの卓は割れなかったんだし」
「そうだねえ。僕が、『王牌を切る』っていう行為がキライで、必要なく、行儀が悪いと思ってるからだね」
「必要ないですか」
「ないねえ。だって、カンが1つ入ったらまったく意味なくなるし、王牌14枚数えるくらい普通にできることだし、どうしてわざわざ、山に切り込み入れる必要があるのかね。山はみんなの共有部分だからね。勝手に触るな、切るな、と思っているよ」
「でも最近は、切るのが多くて……」
僕がそう言うと、カウンターの中からママが
「だから、王牌切らない店を作りたくって、雀荘始めたのよ」
と口をはさんできた。麻雀を打ってるときはキツイ感じのキツネオバサンだと思っていたけど、化粧しなおしてカウンターに入ると、まあまあキレイだ。良くも悪くも昭和っぽい。
行儀の悪い客を許すとはどういうことか
「氷とお水、持って来といて」
とママに声をかけた店長は、少し座りなおした。
「たとえ話をしていいかな?」
「はい」
「僕が蕎麦屋をやっていたとする。そこにある日、若いお客さんが来て、手づかみで蕎麦を食べ始めた。僕は驚いて『お客さん、お箸で食べてくださいよ』と言ったら『最近は、手で食べるのが流行ってるんですよ。味は一緒だし、美味いよ』と言って、手で食べるのをやめないんだ。10年くらい前から、フリー雀荘はそういう状況だよ」
「はあ」
「若い人たちは、手で蕎麦を食べることに抵抗が無くて、それでいいと思っているかもしれない。でも、昔から麻雀をやってきた僕たちにとっては、『そんな行儀の悪いこと、ありえない』と思うんだ。だから僕は『手で食べるんだったらうちの店には来ないでほしい』と言ってるんだよ。手で蕎麦を食ってもいい、よその店で食えばいい」
ママが、水と氷を持ってきて、置いていくのかと思ったらそのまま焼うどんとサラダを運んできて、そこに座って話し始める。
「ねーえ。小野寺君、蕎麦屋で、手で食べる客を許したらどうなると思う? あ、これ食べて。うちの自信作の焼うどん」
「えっ……あ、はい」
2つ同時に言われると返事に困る。
「つまり、王牌を切る客を許してたらどうなると思うってことよ」
「どうなるんでしょう」
僕は、その件についての店長たちの考えを聞きたいと思ったので、余計なことは言わなかった。焼うどんを取り分けながら店長の答えを待つ。
「うちの蕎麦屋で、手づかみで蕎麦を食べる客を許したら、まず、
普通に箸で食べているお客さんがうちに来てくれなくなるんだよ。
行儀が悪い所作を見せられながら食べたくはないからね」
「はあ」
「次に、新しく入ってきたお客さんが、極端な話だと外国人観光客のお客さんが『あ、ここでは手で食べるんだ』と勘違いして、手で食べ始めるんだ。そのときに『お客さん、蕎麦は箸で食べてください』と言っても、『あっちの客は手づかみじゃないか』と反論されたら言い返せないよね」
「そうですね」
「で、その次に起こることが……」
「まだあるんですか?」
「これが厄介なんだ。よその蕎麦屋で手づかみで食べた客が、店主に『箸で食べてください』と注意された時に、『草加の陣太鼓ではみんな手づかみで食ってるよ』と開き直るかもしれない。そうなると、うちの店は手で食う客しか来なくなるかもしれない」
「……」
「まあ、極端なたとえかもしれないけど、そういうのが嫌なんだよ。
だから『うちの店では箸で食え』というところで線引きをしているんだ。蕎麦屋も麻雀屋もたくさんあるからね。わざわざ行儀の悪いことをする客は、来てくれなくて結構なんだよ」
「でも……」
僕は、つい言ってしまった。ママが
「何? 何か言いたいことあるの?」
とつっこんでくる。
「でも、行儀の良しあしで言えば、伏せ牌とか引きヅモとか、昔ながらの所作みたいなのってあるじゃないですか。それは許してるんですよね」
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