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勝負師~episode7合わせ打ちの四郎【文・荒正義】

昭和の麻雀打ち、四郎(仮名)との出会いは1991の秋(平成3年)。
日本のバブルがはじけた年だった。
彼は高レートの裏専門で、50歳を越えていた。
私は40歳手前で、元気な打ち盛りである。
彼は10歳上だった。 
彼は細身で体重は50キロあるかどうかだった。黙々と打つ、静かな男だった。
四郎の麻雀は、よくある交通事故は無縁だった。早くて高い手の闇テンに打つ、仕方のない放銃、これが交通事故だ。
なぜ無縁かー。
それは、四郎が6巡目を過ぎたら、浮き牌は必ず合わせて打つからである。

浮き牌は2pと発。どうせ行く手だから、どちらを先に切っても同じと思う。
が、四郎はそうではないのだ。誰かが5pを切ったら、合わせて2pを切るのだ。
発が先に切られたら発を合わせる。これが合わせ打ちである。
これだけでも、交通事故は年に100回は防げるというわけである。
大勝ちは少ないが、奴は確実にこの合わせ打ちで勝っていた。バブルがはじけたこの年でも(1991年)、ワントップで30万くらいの麻雀はまだ残っていた。半チャン10回打って、1回か2回の勝ちでも毎日打つから、それが貯まれば大きいのだ。
奴には妻がいて子供もいた。
生活のため細く長く勝つー。
これが四郎の人生訓だったのかも知れない。
 
彼は場を見る目も確かだった。一回戦目は、好調で私のトップ。
そして、2回戦目の東1局。私の親番である。配牌がこれだった。

(来たなー)と私は思った。
これが決まれば、今日は勝ち組なると思った。
4巡目にドラの1pが出たが、私は動かなかった。
鳴けば役牌が、絞られると思ったからである。このとき、私の手はこうだ。

そして、6巡目の私の河がこうだ。

四郎は、上家で私の河をじっと見ている。この局は3巡後、西家にピンフのみで蹴られた。

私の手はこのままだった。
すると四郎が云った。「これは?」と3枚の字牌を見せたのである。
それが、東発中だった。
「絞り過ぎだよ…」と私が云う。
「親が中張牌から切ると、役牌は鳴かれるケースが高いからナ…」
 
四郎の素晴らしい経験値だ。
四郎がつぶやいた。
「俺は和了することより、和了をさせない麻雀なのだ…」
これが昭和のアナログ麻雀である。アナログは「運」と「流れ」と正確な「読み」を重視する。
この後に出てきたのがデジタルである。赤ドラが主流になって、早い聴牌競争が流行したのだ。
赤があると和了のほとんどが満貫である。闇テンで「ロン!」言われたら、満貫か跳満は覚悟しなければならない。
手牌4枚で、安い手と思っても裏切られることがある。

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