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井出洋介語る21 麻雀店「オレンジハウス」井出洋介ファンが集まった、点五雀荘のはしり


赤牌は入れたが祝儀対象にせず

今回は、僕が関わった雀荘「オレンジハウス」についてお話しよう。

オレンジハウスができたのは平成元年(1999)。東京都調布市の仙川駅前にオープンした。その後、神奈川県相模原市の相模大野駅前にも2店舗目を出した。

巷のフリー雀荘はいわゆるピンのオンレートが主流だったが、その頃から次第に点5が増えてきた。オレンジハウスもそのはしりだった。残念ながら、ノーレートでの営業など、不可能だった時代だった。

ルールを決めるときに、赤牌を入れるかどうかということが問題になった。巷では赤牌を入れて現金祝儀の対象にするというのが流行していた。でも、僕が関わる以上は、そのルールは採用したくなかった。

オレンジハウスは、低レートで麻雀を楽しんでもらうための店だ。大部分の人が負ける中、それでも楽しめる部分がどのくらいあるかということが重要だと思った。

だから、折衷案として五萬、5筒、5索に各1枚ずつ赤牌を入れてドラ扱いとするが、祝儀の対象にはしないということにした。

(一発・裏ドラ祝儀は100で、2000点相当。ピン雀荘では5000点相当だった)。

そして、順位ウマは250-500と低く設定した。他の雀荘の順位ウマはいわゆるワンスリー、1000―3000が一般的だったと思う。

こうして、「賭けないマージャン」ではないが、「低レートで楽しく打てる店」としてオレンジハウスは始まった。

たくさんのプロがオレンジハウスにいた

2店舗あったオレンジハウスに、僕は月1回ずつゲストとして訪れた。

当初は僕もハウスルールで打っていたが、途中から僕がゲストとして打つ卓だけはノーレートにした。
低レートのときも「井出プロと打ちたい」と言って来店する人たちがたくさんいたが、ノーレートでも多くの人が、僕と打つために来てくれた。

毎日のようにやってきてオンレートで打っている常連さんが、「今日は井出さんが来る日? じゃあ一旦抜けて井出さんと打つ」と待ち席で待っている日もあったし、卓を立てるときに「メンツ足りない? じゃあノーレートに移っていいよ」と移動してくれることもあった。

オレンジハウスでは、多くの麻雀プロが働いていた。

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