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林香の憂鬱(Victoria's Melancholy)

文・馬場裕一

※Victoriaとは「勝利の女神」を意味する

◆最初で最後の闘い◆

2021年3月29日、運命の日を迎えた。
30歳の誕生日を迎えるまで、あと3ヶ月弱。
その前に決着を付けなければならない日がやってきた。

特別な日ではあったが、早川にとってはいつもの日常を過ごすだけである。
いつものようにシャワーを浴び、髪を乾かし、いつものようにドレッサーの前に座る。
変わらない日常のルーティン。
そして変えてはいけない己の打ち方――

東京に拠点を移して早3年、やっと巡ってきた大きなチャンスだ。
そしてこの3年、東京で揉まれに揉まれた早川は、自分の麻雀に自信を持っていた。
「何が何でも勝つ!」
 早川の気持ちが昂ってきた。
「決勝まで来れた。勝負の運も味方に付けているんだ…」
「最後の闘い、是が非でも勝つ!」
昂ぶりを抑えられないまま早川は会場へと向かった。
第1期桜蕾戦(おうらいせん)決勝戦が行なわれるスタジオへと。

桜蕾戦とは、次世代スターの発掘を目的に、2021年に日本プロ麻雀連盟が設立した世代限定のタイトル戦である。
出場資格は予選初日に29歳以下であること。
優勝すれば栄誉と賞金、さらに女流桜花Aリーグ入りとたくさんのメリットが用意されている。
早川林香は1991年6月25日の生まれ。
3か月後には30歳となる。
即ち、早川が桜蕾戦に出れるのは、これが最初で最後なのだ。
自分の麻雀に自信をつけた早川は、ベスト16もベスト8も難なく勝ち抜いてきた。
そして、今、目の前にあるのは決勝の舞台。
早川にとっては、いつものように己の麻雀を打つだけである。

全国の麻雀ファンに向けて生配信が開始された。
対局前のインタビューを受ける早川。

私もこのとき久々に早川の顔を拝見したのだが、以前より逞しさを感じた。
気の昂ぶりもあったからだろうが、ちょっと悪そうな印象すら受けた。
これは早川の優勝も充分あるな、と予想を修正したほどである。
ちなみに、早川自身は自分の顔を後で見て「なんかブスだなあって思った」そうだ。

決勝1回戦(全4回戦)。
東1局、起家の内田みこが8000オールをツモ。
いきなりの親倍満である。
以前の早川なら、早くも2着争いに方針を切り替えていたかもしれないが、今回は違った。
麻雀に自信をつけ、ラスト桜蕾戦に賭ける彼女の執念は、内田をまくることしか考えていなかったのだ。
南2局の親番で、まずメンタンピンをアガる。

安目[八筒]の出アガリだったが、裏が1枚載って親満。
次局はドラ表示牌待ちを迷わず横に曲げて、

あっさりツモ。
さらに次局もドラ暗刻の手牌から2つ仕掛けて、

内田みこから[七索]をロン。
親倍をアガった内田をマイナスの世界に引きずりおろし、自身を6万点超えのトップ目に押し上げたのである。

1回戦を終えての成績は次のとおりだ。
➀早川林香 +45.5
②伊達朱里紗+10.0
③内田みこ △14.4
④中田花奈 △41.1

桜蕾戦にオカ(トップ賞2万点)はなく、順位点も低い(5千点・1万5千点)。
その中で45.5ポイントのプラスは、けっこうなアドバンテージといえよう。
早川が、ここまでの打ち方を曲げなければ、優勝の可能性はかなり高かったはず。
曲げなければ、だ。
しかし2回戦に入ると、早川は自分の麻雀を曲げてしまった。
それも気づかないうちに、自然な形で――

◆縁切れ寸前の再会◆

早川林香は宮城県仙台市で生まれ育った。
幼い頃から麻雀牌の思い出はあったという。

「おそらく正月とか、そういう親戚の集まりで家族麻雀みたいのが打たれていたようなんです。牌には触れてたけど、遊び方は決して教えてくれなかった。麻雀はよくないゲームというイメージが家族内にもあったんでしょうね」

▲麻雀を教えてもらえず、やさぐれていた幼少時代

麻雀とは縁のない生活がしばらく続き、早川は女子高に進学した。
このままなら本当に麻雀と縁が切れるところだった。
ところが彼女が高校3年のときに面白いことが起きる。
なんと男子校と合併して、突然共学校へと変わったのだ。
たった1年間の共学だけど、早川の生活環境は一変した。
そして縁が切れる寸前だった麻雀と、ここで再会を果たすことになるのである。
それは放課後の教室だった。
男女同級生5人ぐらいでお喋りしていたら、突然男子が「これ皆でやらない?」と麻雀カードを出してきたのである。
牌ではなくカードだったが、書かれている図柄はどれも早川にとって懐かしいものばかり。
早川は彼らにルールを教えてもらいながら、麻雀カードに興じた。
面白かった。
夢中になりかけた。
そこへ唐突に教諭が教室に闖入。
「何をしてる」
まずは一喝。
そして早川らが手にしているカードを見て、
「麻雀? とんでもない。カード没収だ」
この瞬間、あの早川がキレた。
幼少時代のこともあったのだろう、教諭に食ってかかったのだ。
「トランプとかウノとかは良くて、何で麻雀はダメなんですか!私たちはお金も賭けていないし、ここで楽しく遊んでいただけなのに!」
皮肉にも、この件が、早川をより一層麻雀に傾斜させることになるのである。

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