城埜ヨシロウさん(麻雀漫画家)【ドキュメントM】
麻雀の世界にはいろいろな仕事がある。麻雀好きが高じて、いわゆる「麻雀の仕事」をするようになっても、それがいつまでも続くかどうかはわからない。
城埜(じょうの)ヨシロウさん(46歳)は、かつては「近代麻雀」に連載していた麻雀漫画家だが、今は介護の仕事に専念している。
漫画家アシスタント時代に麻雀にハマる
城埜ヨシロウさんは福岡県出身。子供のころからずば抜けて絵が上手で、「将来は漫画家になろう」と決めていた。高校を卒業後、地元のコンビニでアルバイトをしながら描いた作品が漫画雑誌「スピリッツ」のコンテストに入賞したのをきっかけに上京、漫画家・土田世紀さんのアシスタントになった。
麻雀を覚えたのはその頃だ。土田さんのチーフアシスタントをしていた人が「近代麻雀」に連載することになり、仕事場に「麻雀部」を作ってみんなで打つようになった。
「大人になって初めて麻雀というものに触れたんですけど、すぐにハマりました。『麻雀手帳』というのを作って、いろいろなことを書き留めて勉強しました。勉強しながらやっているときは半年くらい負けなしで、どんどん強くなっていったと思います」
発足当初はアシスタント仲間で盛り上がっていた麻雀部だが、やがて飽きる人もいて、だんだんやらなくなってきた。
「僕一人、全然熱が冷めなくて、みんなが相手してくれないので一人でフリー雀荘に行くようになりました」
そのハマりかたが尋常ではない。
月曜日にアシスタントの仕事をしていて、「昼ご飯食べてきます」と外に出て、向かうのはフリー雀荘。時間を忘れて夢中で打って、職場に戻るのが水曜日の昼ということも。
「アシスタント仲間は『昼飯長くない?』と怒ってましたけど、土田先生は『金曜日までに仕事を上げればいいよ』と許してくれる人でした。その後、原田重光先生のアシスタントをしていた時は、テツマン明けで出勤して、朝御飯を食べさせてもらい、『眠いならちょっと寝てていいよ』と言われて仮眠してたら『夕飯ができましたよ』と起こされたこともありました。ご飯を出してくれる奥さんはあきれて怒ってたみたいですけど、原田先生は『仕事さえやってくれたらいいよ』と言ってくれました。みんな優しかったなあと思います」
20代半ばはアシスタントをしながら週4~5回フリーに行くという、麻雀三昧の生活だった。
近代麻雀で「ウラセン」連載
麻雀漫画家として独り立ちしたきっかけは、アシスタント時代に竹書房の社員と知り合ったことだ。「麻雀が好きなら、キンマに読み切り描いてみない?」と言われてデビュー。
その後連載した実録漫画「ウラセン」はマンション麻雀やギャル雀などでの体を張った取材と渾身のレポートが人気を呼び、単行本化された。佐々木寿人プロや滝沢和典プロなどと会うこともあった。
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