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【小説】雀荘の客に指名手配犯がいたら【アメジスト机】

1 友達だから100円くらいいいでしょ

「いらっしゃいませ、江森さん」
「こんちはー。これ、ドーナツ買ってきたからみんなで食べて」
「いつもありがとうございます。今、ラス前なのでお待ちください」
「じゃ、ホットありありで。打ってるみんなにも配ってね。足りるよね」

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 江森さんは、最近毎日のように来る中年のお客様だ。

 僕がこの雀荘「ルナール」でアルバイトするのが週に4回くらい。ほぼ毎回、江森さんに会う。

 そして江森さんはしょっちゅう差し入れをくれる。だいたいはお菓子だ。パチンコで勝ったとか、ちょっとおいしそうだったからとか、分けやすいものを10人分くらい買って持って来てくれる。
「こちら、江森さんからです」
と、サイドテーブルにドーナツを置いていく。

「おっ、ありがと!」とすぐに食べ始める人、「子供のおやつにするわ」とカバンに入れる人、いろいろだ。
 今日はカウンターにオーナーの篠田ママがいたから、ママにも1つ渡した。
「あ、ママ掃除してたんですね」
「そう。暇な時にやっとかないと、すぐに手あかがついちゃう」
 カウンター回りをクロスで拭きながら言う。そのカウンターの中の壁には擦り切れたポスターがある。はっきり言って、見苦しい。
「それ、はがしちゃダメなんですか?」
「ダメよ。これは貼っておく約束だもん。ケーサツとの約束」
 他のフリー雀荘のことは知らないけど、ルナールのカウンター内には「指名手配中」の犯人の顔写真のポスターが何枚か貼ってある。

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 セロハンテープが乾いてカピカピになってるからかなり前からのものだろう。婦女暴行・強盗・競馬情報詐欺・業務上横領……。行き場のない犯罪者が街のパチンコ店や雀荘に出入りする可能性はあるだろうけど、指名手配されている人なんかきっと外見を変えてるだろうし、効果があるとは思えない。
「今、そこの交番にいる巡査部長さんが同級生なのよ。だから、うちの雀荘のやっすい麻雀の日付変更線時々超えちゃう営業に目をつぶってくれる代わりに、協力する姿勢を見せておくのよ」
 今の日本で、フリー雀荘という営業形態はかなり特殊だ。そこで動くお金や営業時間について、法律の枠と現実に行われていることの間に、かなりずれがある。
快速電車も止まらない駅から徒歩5分。この商店街で地元の学生とサラリーマン相手にほそぼそと店をやっていくには、それなりの苦労があるみたいだ。僕は予備校時代からここの客だけど、大学生になって働き始めてみて、雀荘って忙しいなあと思った。
「ラストだよー!」
「はーい。じゃあ江森さんどうぞ―」
「俺、抜けるわ」
 ラス半コールしてないのに、立ち上がったお客さんがいた。ママが顔をしかめる。
「えー、やめちゃうの? じゃあ倉間君、本走お願い」
「了解です!」
 僕は麻雀が大好きだ。ここの常連さんとの麻雀は楽しい。でもじつは、江森さんと打つのはちょっと苦手だ。それはなぜかと言うと……。
「ツモ。2000・4000の1枚」
「おっ? 1枚? あ、今ないわ。借りで」
「ダメですよ。すぐに払ってください」
 細かい祝儀が発生した時に、江森さんは「借り」とか「後払い」とか言って払おうとしない。相手によるんだけど、店員相手や常連どうしだと「あとで払うから」とか「友達じゃねえか」と、すぐに言う。
「あ、それなら自分が両替しましょう」
 同卓の北斗さんが、細かくしてくれた。前の半荘でかなり集めてたみたいだ。
 北斗さんは、いいお客さんだ。打つのが速いし、余計なことは言わないし、こういう時もスマートにさっと対応してくれる。前髪が顔にかかる長髪で表情はあまりわからないんだけど、僕が本走のとき、卓内に北斗さんがいると安心して打てる。
「サンキュ。俺のドーナツ食べた?」
「あ、自分はけっこうです。ありがとうございます」
「そうかあ」
 オーラスが終わって精算のとき、また江森さんが軽くゴネた。
「マイナス1700だから100足りませんよ」
「いーじゃねえか」
 トップの三浦さんが、
「いいよ、さっきドーナツもらったし」
と言うと、
「だろ? 俺たち友達だからな、いいよな」
と押し切ろうとする。僕がもう一度何か言わなくちゃと思った時、ママが近づいてきて三浦さんにすっとコインを渡した。

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「私がいただいたドーナツ代ってことで」
「あ、じゃ、それでいいわ」
 僕は(よくない! 清算はちゃんとしないと!)と思ったけど、ママに目配せされてそこは引き下がった。
 北斗さんはさっさと点棒を25000に戻し、起家マークを回して、静かにアイコスを吸っていた。

2 差し入れなしでもいいのに

「いらっしゃいませー」
今日も江森さんはやってきた。今日は差し入れなし。
「ありがとうございます。えーと、今は東3局ですね」
するとママが
「スリー入りでよければ、こちらへどうぞ」
と古いほうの卓に案内した。
「おう、いいよ」
 もう一人の立ち番の桑野さんと3人で江森さんを囲み、1回打っているとあっちの卓にオーラスで追いついた。両方同時にラストになり、ちょうど新しいお客様が来たタイミングでママが言った。
「メンバーをバラして入れたいのでこっちの卓で改めて卓組抽選してもらえますか?」
「え、この卓はもう使わないんですか?」
「うん、これ、やっぱり古いから。お客様3人なら新しいほうで打ってもらいましょう。倉間君も本走入ってね」
「はい」
 江森さんは、差し入れを持ってこない日は「借り」とかあまり言わないからやりやすい。麻雀を打ってて「友達だろ?」と言うことはたまにあるけど、「友達でもマンガンはマンガンだよっ」とか、「店員は友達じゃねえだろ」とか言い合いながら楽しそうだ。
 夕方、卓が丸くなったから牌を拭こうとして僕はおかしなことに気付いた。
「ママ、この卓、牌がちょっと足りないみたいです。スリー入りした卓」
「あー、欠けてるのがあったから回収した。その卓はしばらく使わないわ。卓掃もしなくていいわよ」
「そうですか」
 僕も一緒に打ったけど、欠けてるのには気づかなかった。そんなことあるのかなあと思ったけど、ママに逆らうほどのことではなかった。

3 警察を呼んでもいい!?

「3卓ラストありがとうございます。優勝は会社失礼しましたー」
「あー負け負け」
「江森さんはマイナス1100です」
「小銭ないわ。後で」
 また始まった。今日はミカンを差し入れしてくれたけど、そうはいかないんだってば。
「払ってくださいよ。お釣りありますから」
「細かいなあ、そのくらい負けてくれてもいいだろう」
「だめですー」
なるべくお茶目に言って、険悪にならないように気を遣う。でも、そこにつかつかと近づいてきたママの顔は険しかった。
「江森さん、いい加減にしてください!」
「え、なんだよ」
本走の桑野さんも僕も、同卓の北斗さんも動きが止まった。
「そういうの困るんです。清算は表示通りにお願いします!」
店中に響き渡る声で江森さんに言っている。もう1つのフリー卓も、セット卓もお客さんがこっちを見ている。
「何だよ! 払わないとは言ってないだろ!」
ママの語気があまりに荒いから、江森さんも声が大きくなる。
「払うべき時に払わないのはルール違反です。お買い物するときに、100円足りないから後で払うとか負けておけとか、通らないのと一緒です! 経済活動として成立しないんです」
 ママも負けてはいない。でも、どうしてそんなに煽るような言い方をするんだろう?
「何だよ、大げさだな。客に向かって。たかが麻雀じゃねえか」
「客っていうのは、ちゃんとお金払う人のことを言うんですよ。お菓子持って来て友達面しても、負かりませんっ!」
 これは江森さんが完全に怒ってしまった。
「何だと! 言わせておけば! こう見えても俺はなぁっ……!」
「こう見えても何ですか? お金払わないで威嚇するんですか? ケーサツ呼んでいいですか?」

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