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瀬戸熊最強位に敗れた雀士たち 内田みこ

近代麻雀2023年6月30日発売号

文・木村由佳

内田プロはMリーグの新チーム「BEAST Japanext」ドラフト会議指名オーディションで指名され決勝で菅原千瑛に敗れたが、一躍有名になったプロでもある。この若き雀士は、瀬戸熊とどう戦ったのか振り返ってみたい。

瀬戸熊が「苦しかった」と振り返った1戦

 最強位を連覇した瀬戸熊に「どの試合が特に苦しかったですか?」と聞いたとき、「2022の初日は苦しかったです」と言われた。

もちろん、決勝卓が楽だったというわけではない。しかしこの初日の予選B卓はトップ目が激しく入れ替わり、見ているほうもまったく目が離せない試合だった。

そのときに瀬戸熊の上家にいたのが内田みこプロ。まだ20代ながら一児のママである。

この試合の南3局、瀬戸熊は2軒リーチを受けている状態で6sを切って聴牌。見事ツモアガって勝ち上がりをほぼ確定させた。「麻雀にタラレバはない」というものの、もしもここで瀬戸熊が勝負できず聴牌を崩していたら、内田のアガリになっていた可能性が高い。瀬戸熊の勝負は、自分の勝ちにつながる針の穴のような道筋だった。

2人勝ち上がりの試合の暫定2着目の瀬戸熊は、オリてオーラスに条件を残す打ち方もできたかもしれない。しかし瀬戸熊はここが勝負所だと判断した。最強位・瀬戸熊をそこまで追い込み、危険牌を切る決断をさせた内田みこプロとは、どんな人なのだろうか?

グレーな部分に憧れて麻雀にハマる

 内田が麻雀に初めて触れたのは通信制の高校生の時。
勉強はあまり好きではなく、「自由になりたい」「そのためにお金が欲しい」と思ってつけ麺のお店でアルバイトをしていた。その店の従業員たちが、営業終了後に麻雀牌とマットを持ち込み、店内で麻雀をするのに誘われたのが麻雀との出会いだった。

「囲碁とか将棋とかトランプとか、頭を使うゲームは無理です、って言ったんですけど、麻雀はそれだけじゃなくて運もあるし、ちょっとグレーな部分の魅力もあってもっと覚えたいと思いました」

それからは同じ年頃で麻雀ができる友人を見つけて、朝から晩まで友人宅で麻雀三昧。打たない時間は麻雀関係のDVDを見たりして勉強していた。

村上淳プロが「プロにならない?」と

高校を卒業後、初めてフリー雀荘へ。
客としてしばらく通って、雀荘の仕組みがわかってきたころからアルバイトをするようになる。その店では、プロが定期的に集まって大会を開いていた。

「20人くらいの大会なんですけど、DVDで見ていた宮内こずえさんを生で見て『すごい』と思いました。最初は従業員としてドリンクを運んだりしていたんですけど、2回目くらいのときに人数調整のために誘われて参加しました。

終わった後の打ち上げに行った時に村上淳プロに軽く『プロになりなよ』と誘われて、すぐに『無理です』って答えたんですけど、村上プロに声をかけてもらったことは心に残っていました。

建築の道を諦め麻雀プロに

高校卒業後、内田は建築関係の仕事に就きたくて、奨学金を借りて専門学校に入学。
学費を稼ぐために、雀荘のアルバイトはずっと続けていた。

「雀荘で夜中まで働いて、朝7時には学校に行く生活でした。その間に課題もやらないといけないし、肉体的にかなりきつかったです。帰宅後、寝ないで課題を仕上げて間に合わせても、翌日の授業中に寝たくないのについ寝てしまったりで、勉強についていけなくなりました。だから続けるのは無理だと思って、半年で学校をやめてしまいました」

追いかけていた夢をあきらめた18歳の少女。すべてを失った状態で思い出したのが「麻雀プロにならない?」と言われた一言だった。

そしてプロ連盟のプロテストを受ける決意をする。

「プロにならないかと声をかけてくれた村上さんは最高位戦なんですけど、宮内こずえさん、高宮まりさん、二階堂姉妹など当時名前を知っていた女流プロは全員プロ連盟の人だったので、メディアに強いのはプロ連盟だと思って連盟を受けました。プロになったら何かが変わるんじゃないかと思って」

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