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日本麻雀101競技連盟・第39期八翔位 古川大樹(ふるかわひろき)さん【ドキュメントM】  

今年1月に行われた八翔位決定戦を制し、第39期八翔位になったのは古川大樹(ふるかわひろき)さん。
お父様の古川凱章(がいしょう)さんは1960年代に作家の阿佐田哲也氏が立ち上げた「麻雀新撰組」のメンバーで、日本麻雀101競技連盟(以下一〇一)の創設者でもある。日本の競技麻雀のパイオニアとも言えるお父様との思い出や、ご自身の麻雀などについてお話を聞いた。

父・古川凱章の活動と少年期の思い出


 古川さんのお名前は、大樹と書いて「ひろき」と読む。

「父が敬愛していた阿佐田哲也先生の本名が色川武大(いろかわ・たけひろ)で、その一文字をもらったそうです。私自身はお目にかかったことはないのですが、子供のころに電話を取りついだことがあります。『色川です』と言われるのでピンと来なくて、後で『阿佐田先生か!』と気づきました」

 大樹さんは1973年生まれの49歳。三人兄弟の次男だ。物心ついたころ、凱章さんはすでに麻雀プロとしては一線を退き、主に自宅での著述業が中心になっていたようだ。ちなみに1970年に結成した「麻雀新撰組」は74年には解散している。

「父は威厳があってちょっと恐い感じで、家にいるとピリピリした感じでした。でも家族仲が悪いわけではなく、いろんなところに連れて行ってくれました。朝は一緒に朝ごはんを食べて、子供が学校に行っている間は家で仕事をしていることが多かったと思います。当時は、父がどんな仕事をしているかわかっていませんでしたが、主に麻雀関係の執筆や牌譜整理、牌譜の研究をしていたんだと思います。

 私が小1のときに『第11期名人』のタイトルを取って、すごく大きなトロフィーがうちに運び込まれた時、『お父さんはすごい人なんだ』と思いました。当時深夜番組の『11PM』に出演もしていたので、クラスメイトの親御さんは古川凱章が麻雀プロだということはみんな知っていたと思います。学校でもちょっと騒がれました。

 父には『外でお父さんの仕事を聞かれたら著述業だと答えなさい』と言われていました。家に来る人達が皆、父のことを『先生』と呼んでとても敬意を払っているのはわかったので、麻雀の世界で偉い人なんだろうなーとは思っていました」

 凱章さんは一〇一の前身となる「年間順位戦」を主宰し、82年には「順位戦101」を開始。85年から87年までは活字版の「近代麻雀」の編集長も務めた。

「私の記憶がない頃には、本当に麻雀三昧の生活だったんだろうと思います。名人のタイトルを取ってからは自分が打つよりも一〇一の立ち上げに向かって動いていたんでしょう。酒好きでしたから会食に出かけることも多かったですね。阿佐田先生を通じていろいろな芸能人や文化人の皆さんと交流がありましたし、先生から呼ばれたらいつでもどこでも出かけて行ってました。

父の仕事場の書机には、常に牌活字のセットがありました。当時の原稿は手書きですから、原稿用紙のマスの大きさに合わせて作った牌のスタンプを使って牌譜整理をしたり原稿を書いたりしていました。

私は子供で麻雀がよくわからないから、そのプロと言われても全然わからなかったんですけど、父のことは尊敬していました」

 中学生で有名人の採譜係に

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