共感性羞恥と自己承認欲求と
最近友達と歩いてたら、遠くで若者がウェ~イ!!とダンスステップをとりながら歩いていた。
すると友達が
「俺ああいうの見るとウワ〜〜ってなるんだよ」
と言った。彼はよくあらゆる場面で「ウワ〜〜ってなる」と言うのだが、その感覚に《共感性羞恥》という名があることに最近気付いたようだ。
例えば、文化祭などで普段人前には出ないようなキャラが勇気を出して漫才をするものの、ダダスベりしてしまう。あのときの見てるこっちまで痛々しい気持ちになるあの感覚。と言ったら分かりやすいか。
誰しも似たような経験はあるだろう。自分にもあるが…
正直のところ、自分は人に共感性羞恥を与えてきた側の人間である。まあ痛い方の人間だと思う。人前に出て大いにスベった事や、バカにされる様な事はまあまあしてきた。
お陰でまあまあハートはタフになったと思う。
自分の中では打席に立つ事が最大の美学であり、何もせず、自己を表現する事もないくせに打席に立つ人間を嘲笑する、いっちょ前に評論家ヅラするつまらないタイプの人間はカッコ悪すぎて気持ち悪さすら感じる。
前述した共感性羞恥強めの友人も正直なところ、自身もソレを周りに振りまいているのだが、気付いてないのだろうか。
誰しも自己承認欲求はあるだろう、世の中ありとあらゆるコンテンツは自己承認欲求強めの人間のおかげで作られており、おかげで我々は楽しい時間を過ごせているわけである。
あの俳優も芸人も歌手も最初はただの《痛いやつ》だったはずである。
共感性羞恥強めのヤツはちょっと自分見つめ直して反省したほうがいい。
タイトル画面は関係ないけど、宮古島の東側の海岸の様子。漂着ゴミと軽石で悲惨な状況だ、キレイなだけが宮古島ではない。
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