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近畿WEIN図鑑 #7 谷 正義

プロフィール
谷 正義(たに まさよし)
大阪府天王寺区出身1984年生まれのO型。
9歳の時に大阪府堺市から和歌山の地へ移住し、現在は海南市に在住。
14年にわたり病院や高齢者施設で介護職員や管理者として介護現場で勤務し、現在は実弟と高齢者や障害者向けのサービスを提供する合同会社介拓社を設立し、経営に奔走。
また、地域を照らす「竹あかり」を主催する株式会社竹千代の社長としても奮闘中。

谷さん2

この度はWEIN近畿図鑑で谷さんを紹介させて頂くにあたり、谷さんのことをネットで検索したら様々なジャンルの記事がたくさんヒットしまして、谷さんが何者なのか分からなくなってしまいました(笑)。
谷さんの活動内容と併せて自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

はい、わかりました(笑)。
おかげさまで色々と活動させて頂いていますが、メインといいますか、本業は介護福祉士としての活動になりまして、弟と一緒に合同会社介拓社という会社を設立し、経営しています。「介拓社」という社名は”若い青年の熱と力で新しく介護業界の希望の道を明るい未来を切り拓く”という意味を込め、開拓者のパイオニアと介護をかけて「介拓社(かいたくしゃ)」としました。
その他にも、障がいをお持ちの方や障がいをお持ちの子どもさんの障がい福祉サービスの計画を作る仕事もしています。名前は、和歌山地域生活相談支援センターの管理者兼相談支援専門員になります。
さらには地域の防災士として防災福祉に関する活動もしています。
こうしてみると、確かに色々とやってますね(笑)

介護福祉の道に進まれたきっかけを教えて頂いてもよろしいでしょうか。
きっかけは両親と祖母の影響ですね。ちょっと重たい話になってしまいますが、私の両親は重度の精神障害を患っていまして、私は9歳の頃から両親の介護をしていました。ですがそんなときに支えてくれたのが看護師をしていた祖母でした。そういった経験があったので、「自分にできることは何か」ということを考えたときに、介護福祉の道を志すのは自然な流れでした。

9歳というとまだ小学生ですよね。当然ですが、凄く大変だったんではないかと思います。
はい、両親は精神を安定させるためにいつも薬を飲んでいましたが、その影響もあって私に暴力を振るったり罵倒するなど、色々なことがありました。正直あまり「親」として接してもらったような感覚はありませんでしたし、そんな両親が嫌でした。

ちょっと私には想像できないです。。ずっとそのような状況だったんでしょうか。
実は私の両親に対する考えが変わる出来事がありました。
私が14歳のときに両親に対する苛立ちが爆発してしまい、「こんな親があるか!」と暴言を吐いてしまったことがあったんですが、そのときに母親が涙を流したんです。それを見て「苦しいのは自分だけじゃないんだ。病気で苦しみ、周囲から馬鹿にされている両親こそ苦しいんしじゃないか、と思ったんです。母は好きで病気になったわけではないんだと、そう考えたら両親に対する考えが変わりました。

お母様も辛かったんですね。
はい。それまでは自分の立場だけで考え、自分だけが苦しいと思っていました。ですがそのことをきっかけに、「自身の不遇を環境のせいにせず、自分が変われば環境も変わるはず。自分次第で環境も他人も愛に変えていけるのではないか」と考えるようになりました。

その後はご両親との関係に変化はあったんですか?
考え方が変わったとはいっても実際のところ両親とのいさかいは絶えませんでしたが、考え方の軸ができたことで接し方は変わりましたし、そのときの思いを胸に今も介護の仕事を頑張っています。
先ほど自己紹介で介拓社という会社を経営しているといいましたが、介拓社の事業として「デイサービスセンター雅」や「老人ホーム雅」、「みやび整体院」というものを運営しています。実はこの「雅(みやび)」というのは母の名前である「雅子(まさこ)」の一文字を取っているんです。母親は私が介護の道に進むきっかけとなった人で、その時の気持ちを忘れないようにしたいと思い、会社の名前に使いました。

それはお母様、絶対うれしいですよ!
実は今、母はその老人ホーム雅に入居し、デイサービスセンター雅を利用しながら生活しています。さらに父も雅の職員として働いてくれています。過去にはいろいろとありましたが、こうやって家族一緒になって毎日過ごせるのは、とてもありがたいです。
今は本当に介護福祉の仕事は大変ですが、とてもやりがいを感じていますし、これからも頑張っていきたいです。

ありがとうございました。
少し話は変わりますが、谷さんは「竹あかり」の会社も運営されていますが、この「竹あかり」というものについて教えて頂いてもよろしいでしょうか。

はい。そもそものところから説明しますと、竹あかりというのは切った竹に様々な大きさの穴を開け、内側に光を灯したものになります。幻想的で、本当にきれいですよ。

谷さん3

竹灯り2

なるほど。ちなみに竹あかりは介護のお仕事に関係してるんでしょうか?
いえ、全くの別物です。

ではどのようなきっかけで竹あかりに携わられるようになったんですか?
2018年8月に広島で開催されたていた竹あかりのイベントに参加したことがきっかけです。
実はその少し前に、私の小学生の長女が同級生たちからのいじめにあっていることを知りました。娘は発達障害があって自閉症と診断されていましたが、そのことを理由にいじめの対象にされていたんです。
私は普段から社会貢献やボランティアの活動をしていて、少しでも人のためになるよう生きてきたつもりでしたが、自分の家族すら守れていないのが現実なのかと、自分自身が凄く不甲斐なく、悔しかったんです。
その気持ちをSNSに書いたところ、それを見た人から竹あかりのイベントが広島で開催されることを教えて頂き、娘と一緒に参加しました。

娘さんはそのイベントを楽しんでおられたんですか?
はい、竹あかりのイベントで多くの方に親切にして頂いたのと、竹あかりの美しさに触れて、イベントに参加した日から娘は元気を取り戻していきました。人と人との繋がりは本来温かいものであること、それを肌で感じたんだと思います。
そんな私も娘が楽しそうに竹あかりを作っているのを見て、竹あかりの見た目の美しさと、竹を通じて人がつながっていけるという竹あかりのあり方の美しさに凄く惹かれました。

それでそのまま和歌山でもそれをやってみようと。
そうですね。広島での竹あかりのイベントを紹介して頂いた方にお礼を伝えたところ、そんな素晴らしい体験をしたのならぜひ私の地元である和歌山でもやってみたらどうかとご提案頂きまして、見よう見まねで和歌山県でもはじめることにしました。

さん谷さんと娘

ご経験がないことをやっていくのは大変ではありませんでしたか?
想像以上に大変でした(笑)。ですがやりはじめたら、思いがけない運命的な出会いがありました。竹あかりの様子がNHKで放送されたんですが、それを見た一人の初老の男性から「感動しました。是非、ボランティアで手伝わせて欲しい」と連絡があったんです。熱心な方だったのでお会いして話していると、実はその方は私の娘をいじめた一人の祖父だったんです。

そんなことあるんですね。
そのことを聞いたときは、「なんという巡り合わせだろう」と思うと同時に、「竹あかりには敵をも味方にする。そんな不思議な力がある」と確信しました。

お話を伺うと、本当にそう思いました。ちょっと驚きました。
そうなんです。なので私がそうだったように、この竹あかりのイベントで竹あかりの優しい灯りを感じてもらうことで、同じ悩みや不安を抱える子どもたちや大人たちに対し、生きる希望や、不安に負けない強さを感じてもらえるかもしれない、そういう思いで今はやらせてもらっています。

今後はどのように竹あかりを広められていく計画なんでしょうか。
今は「和歌山県竹あかり実行委員会」を立ち上げ、和歌山での竹あかりの普及に日々取り組んでいます。
また、開催されるかはわかりませんが、東京オリンピックに向けて47都道府県で竹にあかりを灯すことを目標にしています。まだ未確定ですが、県内の7ヶ所ほどで竹あかりを灯す予定で準備をしています。
介護の仕事をしながら竹あかりの準備をするのはとても大変ですが、大変であればあるほど達成感は大きいですし、やりがいを感じています。竹あかりをきっかけに、人と人や、人の気遣いや思いやりが次々につながっていく。そういったことを一人でも多くの方に感じて頂くことが目指すことであり、竹あかりを開催する意味になります。

たけあかり(浴衣)

ありがとうございました。お話を伺ってみて、介護福祉のお仕事と竹あかりのお仕事、どちらが本業というものではなく、それぞれに大きな意味を持って活動されているということが凄く伝わってきました。
それでは最後になりますが、今回WEIN隊、WEIN近畿部隊に加入され理由や、意気込みがあれば教えてください。

そうですね、私と年齢の近い溝口勇児さんや本田圭佑さんのような方々が、世の中を良くしていこう、変えていこうと様々なアクションを起こされていることに感銘を受け、自分もそこに関わりたいと思ったのがWEIN隊加入の理由です。
意気込みとしては、私は地元である和歌山に根ざした活動をしているので、こういった地域活性化につながるような何かができればいいなと思っています。
正直なところ、私は介護の仕事と竹あかりの仕事で手一杯なので、まだまだWEIN隊にそこまで深く携わることができていないのが実情です。
もちろんWEIN隊の皆様から発信される情報はきちんとチェックしていますので(笑)、自分が貢献できそうなものがあれば、積極的に関わっていきたいと思います!

編集後記:ご自身の置かれた状況を拒否するのではなく受け入れ、常にアクションを起こされている谷さん。人と人とをつなぎながら活動されている姿は、WEIN隊のコンセプトにもつながる部分がたくさんあると感じました。これからも谷さんの取り組みに注目していきたいと思います。

ライター : 山本 怜

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