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今日という日に…(実父を在宅介護する覚悟)

暫くぶりにnote書きます。
書く余裕が無かった。吐き出すまで言葉にできなかった。昇華できてなかった。
覚悟が決まってなかった…が正しいかもしれない。

実父が末期癌で、会いに実家になるべく帰りたい。
けど、実母との関係性の悪さが理由で足が向かなかった、気が進まなかった。

実母が父の介護困難となり、急遽施設入所してしまった父。
母は看取ることができないことに迷いがあり、何度も私に電話をかけてくる。

依存的な母は、こちらが少し心を許すと、負んぶに抱っこ状態となる。
その内、立場をわきまえず、都合の悪い事は何でも人のせいにして、大きな態度で上から目線になる。

それが分かっているから、私は距離を置いていた。
正直、『私は父を見捨てるんだ』と言う十字架を背負う覚悟をしていた。

弟から電話がかかり、父が私に会いたいと言っていると聞かされた。
私は耐えられなくなり、父に会いに行った。

私の顔を見るなり、私の名前を呼ぶ。
少しせん妄になり、その後、訳がわからないことを言う父。そして、ずっと敬語で私に話しかける。どこまでが私と理解しているのか、していないのか…。

施設入所数日で褥瘡ができてしまった。
歯磨きもしてくれていないのか歯垢が前歯にへばりついている。
お風呂に入れてもらっているのだろうか?頭が脂でネチョネチョで誤魔化すように不自然な程、頭皮に撫でつけられている。

父はしきりに母を探していた。
いつも、母は父をないがしろにして買い物と嘘を言って半日以上家を留守にした。
本当は、喫茶店に行ったり友人の家に行きお喋りをしていた。

気分転換は必要だし悪い事ではないが、父の事を裏で小馬鹿にし嘘を付く姿が信じられなかった。

話は逸れたが…
不穏になっては施設に迷惑がかかるので、『探してくるね。いつものように、どこかでお喋りしてるのかも知れないね。』と説明すると、父は微笑んで『そうですね。お願いします。』と娘の私に他人行儀に頼んだ。

私は耐えていた。限界だった。そのまま、その場を去った。
外に出て、私を待っていた娘に父の状況を説明した。
説明している最中に、耐えていたものが溢れ出した。
気付くと嗚咽に変わっていた。大きな声を出して泣き出した私に娘たちは驚いていた。

長女が私の背中を擦り、なんとか治まるまで待った。

私は覚悟した。『家に連れて帰ろう』と…。いや、既に父に会う前に、私は覚悟していたのだと思う。
最終決断するために、父に会いに行ったのだ。

何故なら、私は今日、介護休暇を取りたい旨を、上司に伝えていた。欠勤扱いになっても構わないとさえ思っていた。
数ヶ月なら貯金で食べていける事も確認していた。

ここ数週間は、どうしたら実現可能かを考えあぐねていたのだ。

面会した帰りに在所により、母に、父を連れて帰ろうと提案した。
ただ、4月の勤務は出来てしまっているし、夜勤は流石に変わってもらう事は難しい。
その時に母が介護が出来るか、本気で在宅介護する覚悟があるか。覚悟を決めて欲しい。

覚悟が決まらないなら、在宅介護は難しいと伝えた。
散々、私に話を合わせ、連れて帰る話が終わりに差し迫った時、
『血圧が不安定で…倒れてでもやろうと思っているけど…あの人は私の言うことは聞いてくれなくて威圧的で…私にできるのか分からない…』と言い出した。

今、ここまで話した上で言うことか?
私は言った。
『いつもそう。お母さんはいつも何かしら逃げる理由や言い訳を探している。私は転職して半年も経たない職場に介護休暇を願い出た。しかも、次女はこの春高校入学しバタバタする家庭を放り出して介護する。それでも、父の最期を看ることには代えられないと思った。それだけの覚悟を持って話している。お母さんの覚悟は自分で心を決めてください。』と。

母に伝わっただろうか?

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