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東日本大震災から10年。県外避難者の今を考える。

東日本大震災から10年が経った。

現在、沖縄には、東日本大震災及び原発事故で避難してきた方が数百人暮らしている。
10年が経つなかで、避難者への家賃補助の打ち切りなど、公的支援は縮小し、復興庁や福島県の県外避難者への支援もいつまで続くかわからない状況である。

私は、震災を経験したことも被災地へ行っこともないが、今年度、中間支援のNPOで、当事者支援の団体と、沖縄に住む避難者を支援するネットワークづくりに関わった。

10年経ったにも関わらず、避難者のなかには、今も新たな課題が出て、状況が改善しないどころか深刻化する人がいる。それはなぜなのか。

国は、避難者を支援する「仕組み」はつくり、ハード面の復興を進めてきたが、支援につながらなかった人が多くいるのである。

震災を経験していない私を含めた多くの人たちは、被災者、避難者に共感することはできない。その人たちがいくら支援のメニューを持ち、支援しようとしたところで、仕組みに繋げられなければ支援はできない。

今も震災を乗り越えられないのはなぜか。そもそも乗り越えられる経験なのか。

家族が津波で亡くなる。
強制的に住む場所が変わり、文化が変わり、まわりに馴染めない。
見えない放射能を恐れて母子で避難して、親族から故郷を捨てたと批判され、知らない土地で孤立して子育てをする。
被災者同士でも、被害の度合いで共感を得られない。
住んでいた都道府県で受けられるサービスが違う。
いつ戻れるかわからないなかで、1年ごとにまた帰れなかったと賃金の安い仕事を更新する。

一人ひとりが支援を受けても解決しないどうしようもない不安定さを抱えて、どこかで生きていることを想像する。

震災を終わらせられず、精神面の復興がないまま、10年過ぎた人は、課題がより複雑化する。

当事者として支援を続ける方から、最初の関わりが大事だと聞いた。
助けを求める人が、わかってもらえないと心を閉ざさず、例え時間がかかっても支援につながるには、支援者は支援メニューではなくその人を見る必要がある。

ハード面の復興は、精神的な復興がなくては受け入れられない。
支援者が、当事者の背景をいかに想像できるか。傾聴し、わからないことを聞くことができるか。

支援を必要とする人が支援につながるには、「仕組み」と、仕組みを動か「マインド」を持つ支援者が必要である。

地域で問題を起こす方が、後から避難者とわかるかもしれない。心を沖縄に置けなくても、10年が経った方が地域にいるかもしれない。被災者にとって、震災を経験したという事実は消えない。支援者に見えていることは一部であり、無力である。

それでも時間は経っていき、公的支援はいずれ終了する。避難者支援はひとつのカテゴリーとして、それぞれの地域が支援を担っていく必要がある。

市町村社協などと支援のネットワークを構築しながら、支援者のマインドも共有していくことで、いつ起こるかわからない災害に備え、平時の支援に生かせる人が増えればと思う。

あなたの住む地域の近くの避難者を支援する拠点はどこか以下から見れます。興味を持った方は見てみてください。

ふくしまの今とつながる相談室[toiro]

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