2024年6月30日「語りの夕べ」尾関さんヒストリー①
皆様、お疲れ様です。筋ジス病棟バーチャル患者会の深田博貴より、活動報告をさせて頂きます。
筋ジス病棟バーチャル患者会は、先月30日に、「語りの夕べ」を行いました。今回は、岐阜県の長良医療センターに入院されている、尾関泰一(たいいち)さんに、ご自身の幼少時代~高校時代について、語って頂きました。
尾関さんは、神奈川県横浜市で生まれました。生家は、大学のキャンパスの近くで、幼少時代によく近所を散歩していたそうです。
その後、お父様の仕事の都合で、愛知県春日井市に引っ越されます。翌年、市内の小学校に入学されます。周りの人の助けを借りながら、小学校低学年を過ごされます。元々アクティブだったそうですが、徐々に転ぶことが増え、ややインドアになったそうです。また、この頃、ご自身が筋ジスだと意識されるようになったそうです。
小学4年生になると、名古屋市内の養護学校へ転校され、遠距離通学されたそうです。また、転んで捻挫をすることが増え、しばらく近くの病院に通われたそうです。
小学5年生になると、新設された小牧市内に転校されます。この頃、歩行が困難となり、車椅子生活となったそうです。この頃、筋ジストロフィー協会愛知支部に入会され、同世代の筋ジス当事者とそのご家族や交流会されたそうです。
小学6年生になると、電動車椅子の受給で、行動範囲の広がりが嬉しかったそうです。
中学1年生になると、同じ養護学校の中学部に半年間通われた後、当時の国立療養所長良病院へ入院され、併設の養護学校の中学部へ転校されます。病棟では、様々な活動をしている先輩たちから刺激を受けて、始めはプラモデル部に入部されました。
その後、病棟の先輩たちがバンド活動を始め、そのバンドの自主コンサートを観てから、音楽部へ入部されます。
その後、養護学校の高等部へ進学されました。次第に、先輩たちのバンドの自主コンサートで、在校生バンド「ZOO/ズー」として、数曲演奏されるようになります。また、周囲の助けを借りて、作詞作曲をされるようになったそうです。高校3年生になると、前任のリーダーの一時休養に伴い、尾関さんがZOOのリーダーになりました。この頃、楽器や音楽機材をいくつか試されたそうです。
尾関さんはその他の趣味だと、クルマを挙げられていました。幼少時代に、お父様の影響で興味を持ち、小学生時代には、休日にディーラーを巡られたり、中学時代以降、名古屋モーターショーを見に行かれたそうです。また、自家用車の車種などの遍歴を、正確に記憶されていました。
尾関さんに語って頂いた後、村上さんや井上さんは、当時の光景を思い出して、懐かしい気持ちになられていたようです。
尾関さんのお話を聞いて、私はバンド活動や作詞作曲など、ご自身の好きなことにまっすぐに向き合える方だと感じました。また、尾関さんが小学校高学年~中学時代の時のいくつかの転校や生活の急激な変化は、子供ながらに大変だっただろうと、思いました。
尚、この筋ジス病棟バーチャル患者会の「note」には、メンバーの松田さんの自分史についての投稿がありますので、ぜひご覧ください。
以上、筋ジス病棟バーチャル患者会からの活動報告でした。
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