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稲作創話「棚田物語」01 「定年退職起業奮闘記」のはずだった

 昨年の1月21日、還暦の誕生日の日に「定年だから、4月からどうしますか?」と告げられる。世間から見たら至極当たり前のことで、何をと思われると思いますが、本校は65歳になって学院長も教頭も辞めて行かれたので、自分もそれが適応されるものと心得ていただけに、年度末近く1月になっての60歳定年退職の通知。そして、再雇用の条件は非常勤講師で5日働いて、給与半額。(世間では当たり前でしょうが。)

 これには、驚いた。動揺した。3か月後の退職。この時期に。この条件。他を探そうにも探す時間がない。といって、その条件をそのまま飲むと家のローンも残っており、次男は私立大学生。生きていけない。単身赴任で出てきている身にとっては、本当に晴天の下、前門に狼、後門に虎が出てきての霹靂。
 その後の交渉で、この理不尽を非難してこの学校に居座ったとしても、結局は自分がしたいと思っていた教育(「霊性の向上」と「唯心教育の実践」ですが、これはまた、別のお話)もできないと悟り、更に、ここを去って地元に帰ってやれること、やらねばならないこともあるようで。一応の「嘆願書」めいたものを理事会宛に認めはしたが、結局は、1週間の内4日働いて、3日は地元に帰り、その往復の交通費は出してもらえるようになりました。ありがとうございます。
 そうなると、地元で何をするか。ここで、「起業」ということを思うようになる。個人事業主となって、社会に貢献する。使い使われるピラミッドの下、「構想と実行」の分離の中で生をすり減らすのではなくて、本当にしたいこと、得意なこと、したら喜ばれることを追い駆けること。それが、私の場合、地元に帰って、農家になって、田んぼや畑をさらに借りて、自然農法して、実家の納屋を改築して店にして、そこで商売始めて、地元貢献。多くの人に喜んでもらえるのではないかということに、落ち着いたのです。そして、そんな、流れを感じさせるサインが立て続けに起こってきて、まずは、その顛末をここに書き記すことと致します。
 思えば本当にありがたい、「お天道様・神様・観音様・宇宙」からのお計らい(これもまた別のお話)なのでした。そう、「サイン」の話。共時性(ユングのシンクロニシティ。これも別の機会に)
 確かに私は、「過去」に神様にオーダーしてしまっていたんだと思います。「本に埋もれて、お米作って、気の合ったみんなとわいわいしたい」と。
 振り返れば、そう解釈せざる終えない「布置」の数々はありました。人間はその時、そういうことに気付けない場合が多くて、でも、どんな現実でも、目の前に起こってくることは、すべて自分が、自分の無意識・深層心理・使命・魂・真我が、オーダーしてしまっていたもの、他人のせいではないですね。すべて。単なる偶然はありません。
 私の場合、何をオーダーしてしまっていたか。しかし、それを語るのは容易ではない。人間の目から見れば余りに複雑で、気付けば空恐ろしくて、奇怪で、どうにもならなくて、従うしかないような布置。時間的に遡ればどこまでも遡れるようなお仕組み。先祖、前世、宇宙的過去生。(ただ、これも詳しくはまた別のお話に)
 また、いくら遡ったところで、「原因は結果の結果である」(ニーチェ)
 ですから、この令和になってからのことをまず記して、どうしても私が田舎で「半農半X」(塩見直紀)的「リベラル生活」をせざる終えなくなったかという流れを、整理するところから、始めたいと思います。
 また、もう一つ今年になってから取り組んでいる、「百万回の感謝」の実況的報告もしたいと思います。現在のところ36日で10万回達成しました!そのことで、どんなとんでもないことが起こってきているか、共有できたらと思います。
 どうぞ、今後とも、お付き合いくださいませ。

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