見出し画像

稲作創話「棚田物語」甲類02「わらだし」

 本来なら、丙01の次は、丁01「大吟醸日本酒誕生物語」をお届けするのが順番なのですが、何せまだ、そのお酒を造った当人の承諾があられていません。私が、常に現地に居ないことが大きな原因ではあるのですが、そのお方もご高齢で、最近あまり現地に顔を出されることが少なくなったことも。
 しかし、このご時世、他に交流する手段はあるじゃろ、と思われると思いますが、やはり、ご高齢、お顔を見ての確認でないと難しいこともあるのです。ご理解くださいませ。
 ということで、今回は、
 甲類02「わらだし」をお送りします。
 最後まで読んで頂いて、面白ければ、応援よろしくお願いします。

 「わらだし」ひらがなで書くと、意味が見えにくいのですが、「藁出し」と書けば、「稲わらをどこかのタイミングで、どこかの場所から出すこと」であることは、分かりやすくなってはきたのではないでしょうか。(と、ここまでひらがなが続くとこれも意味が取りにくい日本語ですなあ!)それはおいておいて(これも! くどい!)
 ここでの疑問は、①なぜ藁は出さないといけないのか、ということになると思います。後、②どうやって、③いつ頃、④出した藁はどうするの、ということになろうかと思います。
 では、先ず、①藁を出す理由です。
 現代慣行農法では、ほぼ、出せません。コンバインで刈った後、田は10センチほどに裁断された藁に敷き詰められます。それを集めて田の外に出す労力は大変なものになります。実際、私の自然農法の田圃でも、熊手で掻き集めて黄色のキャリーに詰め込んで、運搬車で運び出していましたが、重労働度レベルで行けば、除草用の180センチのチェーンを引くより大変です。時間がかかるのです。チェーン除草かけが10分で終わるところが、その3倍の時間、動き続けてやっと終わるのですから。普通はほぼ出しませんし、出せません。
 「藁は出さなくて、お米は取れているじゃないか、それで良いじゃないか」ということで、「わらだし」しない人もいるようですが、どうも慣行農法では、田一面に散らばった藁を鋤き込む前に腐らせる薬を蒔くようなのです。そう、腐らせることが、ポイント。うまく腐らせれば、堆肥になり、稲の成長に有効です。
 ですが、うまく腐らないで、地中に入り込み、水を入れて田植えして、水温が温かくなった頃にようやっと腐ってくると、厄介なのです。有毒ガスを出すんです。この時点で腐るとガスがでて地中で悪さをして稲の根をの成長を遅らせてしまうのです。エンドファイト・菌根菌(地中微生物で、栄養を植物に届けてくれる役割をするすごい奴ら!)どころではなくなるのです。
 つまり、薬を使わない自然農法の田で藁を田中(「殿(との)、でんちゅう」でござる! で何が言いたい?)に残してしますと、土中で腐った藁が有毒ガスを出して稲の成長を妨げるので、藁は、田から出したいのです。
 さらにそれだけではないようで、田草といえば、芋草・こなぎ。その発芽は、稲藁のガスによって引き起こされるようなのです。つまり、多くの藁が電柱に、否、殿中に、否、田中に(しつこい!)あればそれだけ芋草こなぎが生えてくることになるのです。
 だから、自然農法では、基本、出します。重労働ですが、出します。
 確かに昔の人は、稲木にかけて乾燥して、その場でハーベスター(収穫機)で脱穀して、藁は、そのまま積み重ねて更に乾かして一先ず田外に出していましたし、飼ってる牛の餌にしたり、縄や俵や莚(むしろ)を編んだりしていましたので、田中に藁はほぼ残らなかったのではないかと思われます。

タイトル画もこれも、今年から自然農法に切り替える田の「わらだし」3月27日撮影

 では、現代の私たちは、②どうやって藁を田外に出すか。大変ですが、熊手で集めて、キャリ―に詰めて、運搬車で搬出。ですが、コンバインの後ろ、藁が出るところを弄(いじく)れば、カットされずに、ながいまま機外に吐き出してくれますので、この方法なら集めやすくなります。ある程度腐らせると、撓(しな)ってきて、嵩張らなくなります。
 で、その状態の藁になるのは③いつ頃か、ということになります。 私は、時間の関係もありまして、1月、2月にしかこのわらだし作業を行えないのです。ですから、寒い。年によると田の水溜まりは凍っています。乾いているようなところも霜柱が立っています。そんな中の長時間の労働は、指先が感覚がなくなり、切れ千切られるような痛みとの闘いです。風邪など吹いていると、もう、やる気も起きません。そもそもそうなると藁も凍っていますので、集めようとしても動きませんから、更に重労働化します。ですから、気温と太陽と天候と体力と相談し、仲間を集めて、出しています。 ある年は、来てくれる仲間が自分が来られない代わりに二十歳過ぎの息子さんが来てくれましたが、その後、全く、お見受けしなくなりましたので、きっと、もうこりごりだとお母さんに申し出たのでしょう。残念ですが、仕方ないです。こんなことに青春をかけさせるのは酷というものかもしれません。私の息子などは、今のところ見向きもしませんし・・・。

 でも、そんな過酷なことをしても出したことのご褒美が、④です。
 藁堆肥にします。しますといっても、私がするのではなくて、太陽と水と微生物が、つまりは自然の力で腐っていって堆肥になってくれます。2,3年寝かしたその堆肥化した藁(もはや土)を、苗立ての時の床土として、種まきの時までに取り込んで、乾燥させて使います。これは、正しく土作りで、田作りは土作り、お米作りは土作り。この循環が感動的なのです。自然の摂理、神秘、神様のギフトを感じます。
 「死して体(たい)は朽ち、子孫を育む」
 そんな宇宙の摂理を感じるために、毎年、寒さにも負けず、手先の凍えても熊手を持ち、せっせと藁をかき集める喜び。
そんな農法をあなたは、どう思われますか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?