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「冷血」カポーティ

この本は「ニュージャーナリズムの源流」などと言われている。
私はジャーナリズムに一家言ある人でも何でもない人間なので、「ニュージャーナリズム」について検索してみたところ、客観性を捨てて取材対象に積極的に関わりあうことで、対象をより濃密に描くこと……らしい。
全く逆のことを述べるようだけれど、この本を読み、とある一家の殺人事件を淡々と描写し、それこそ大して重要でもなさそうな周辺の人々やその背景まで丹念に描いているノンフィクションぶりに何だか好ましさを感じた。
ネットの記事やマスコミの報道など、ある視点、ある意見のもとで書かれることが殆どのように思う。
ある意見を主張することは悪いことではない。が、それを「知る権利」とかの報道と同一視すること、そして受け手が赤の他人の思いのこもった色眼鏡で世界を見させられることの恐ろしさといったらない。
あまり主観的になり過ぎ、報道者たることを忘れてしまってすたれたのがニュージャーナリズムであったとして、それは報道姿勢の問題であって、積極的に関わり知ることがマズいわけではない。……客観性を善としていたそれ以前は、対象から距離を置き過ぎたため、理解が足らずに自分の尺度で物事を描いてしまっていただろうし。

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