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余韻

4/23が投票日だった統一地方選挙。僕の住む杉並区は翌日が開票日だ。先ほどほぼ確定したようである。

見どころはたくさんあって、立候補者に女性が多いとか、区長が区民に投票を呼びかける街宣をするとか、候補者の政策を比較するボートマッチが始まるかという矢先に反対の声が上がり取り消されたり、その代わりに民間で杉並ドラフトというウェブサイトが立ち上がったりして明らかに前回の地方選とは異なる選挙への熱意を感じることができました。その一方で期間中には旧来の街宣カーで名前を連呼するスタイルも相変わらずありつつ、それって名前さえ覚えて投票紙に書いてくれればそれでいいわけ?馬鹿にしてない?という視点も一部で囁かれたりと、これまで当たり前に見えていた選挙のスタイルにも市民の意識の変化が投影される。そんな選挙でした。

選挙結果はかなり面白くて、「起きてはならない」とされる結果がチラホラと起きちゃってます。

起きてはならない…

落選してはいけない現職議員が落選する。それによって議会の派閥の力関係が崩れてしまう。起きてはいけない。

これも旧来の概念で、「起きてはいけない」の主体はよく考えてみると議員を指しています。

政治の主体は誰でしょうか?


さて、区長は変わった。

そしてどうやら区議会も変わるのでしょう。

区民、そして区外であっても多くの市民によって杉並区の政治はこれから注目されるのでしょう。

これから大事になってくるのは、政治について市民が理解を深めることです。国政はどうやら政治のブラックボックス化が進んでいます。それは踏み込んだ表現をすると、国政では政治の停滞化が起きています。ところによって機能不全。国会においてもまるで朝まで生テレビみたいな不毛な議論がしばしば起きています。あれが茶番やプロレスでなくてなんなんでしょうか?あれで政治を前に進めているつもりならおそるべき○○です(○にはいろいろ当てはめてくださって結構です)

まあ国政が停滞している間にできることは、この杉並区で行われる区政を政治を市民が取り戻すひとつのモデルに育てることです。それには区民の関心と理解が必ず必要です。

今回、僕は一人の候補者を応援しました。落選はしましたが、今後も引き続き、今回の選挙をきっかけに政治を市民にとって身近な存在だと認識するための活動を続けてくれるでしょう。そんな期待をしています。

前回の地方選で投票した方は今回も当選しました。その方は政治から取り残される市民がいないように市民の一番近くで活動されるような議員さんです。地方政治の専門家として条例をしっかりと理解し、必要なところに必要なだけ行政の力を活用するよう行動される印象です。もう一歩、さらに半歩と踏み込んで行かれるので、根拠を伺うとなるほどなあといつも深く納得させていただける。

前回と今回と、我ながら対照的な方を応援したなあと思いますが、共通する視点としては、僕は自分にとって有利となる政治をあまり期待しておりません。それよりも全ての市民にとってフェアで開かれた政治であるようにと願っています。そういう視点からはお二人の取り組む姿勢は僕の中では共通しています。生きることのベースとしての政治。そこにある仕組みを誰に対してもオープンにしようとされている方たちだと思い、今後も期待し応援させていただきたいと思っています。

政治がオープンであれば暮らしが今より少しは風通しが良くなるのではないか。生きることが今より少し楽しくなるのではないか。

僕は生きることそのものが楽しくあればいい。そして自分だけとか自分を含めた集団が有利になることには興味がありません。優劣はいらない。優劣は順位付けが必要な競技において結果としてつくもので、生活においてほとんどの場面で関係のないことと思います。

ふんわりした捉えどころのないことをつらつらと書いております。言いたいことは、もっと暮らしは楽しくなる余地があるだろう。そのことを基礎的に補完するのが政治だろうと思います。政治が良ければすべてうまくいくという意味ではなくて、政治によって暮らしや安全が支えられている部分があるなあと感謝したいのです。文句ばかり言って「べき論」で権利を主張するとかはあまりしたくなくて、スタンスとしては「お手並み拝見」というところです。しなやかで美しい政治のあり方をいつか見たい。その可能性を以前より強く感じているのがなかなかスリリングです。ありがとうございます。

以上、総括いたしまーす

選挙はおわった。次のポスターを楽しみにしておりまーす笑

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