アスリートファーストはどこへ行った。

オリンピック開催に反対の気持ちは変わらない。だが僕が一人反対したところで現実は変わらないことの方がはるかに多い。そうしてオリンピックが開催されていて、たまにテレビ中継を観たりもしている。批判されるのを覚悟で述べるが、反対してるのに観るのはダブルスタンダードなのだろうか。それは反対する理由によるだろうと思う。反対意見も賛成意見も多種多様なのは言うまでもない。そこに目を向けずに批判ありきでなんやかんやと匿名で好き勝手に言う人を相手にしている暇はないのだ。

ちょっと枕がトゲがあるなと自分でも思うが、そんなにトゲトゲした気持ちでいるわけではない。色んな人がいて色んな意見があることを自分自身の気持ちは込めず書いているので通常運転である。辛辣に見られることもあるが、マイペースと見られたりもする。どちらが客観的な感想だろうかと思う。暑いので文章もクドイ…笑

スケートボードは今回のオリンピックからの新競技らしいが、良いのだ。選手たちが国籍に関係なく応援し合い、成功したら喜ぶし、最後の最後に致命的に失敗をして、そのまま放っておけば悔し泣きに後悔の気持ちに支配されてしまうところを、これも国籍関係なくハグの嵐。どっかの国のコーチがドリンクを手渡して「飲め」みたいに押し付けてもみくちゃにされて、挙句の果てには肩車で掲げられて健闘を称えられてしまう。そうしているうちに悔しさで歪んでいた顔がほころび涙を流しながら笑顔になる。

そういうのを見て、ああここには国籍や順位を越えた互いのリスペクトや友情があるなあ。

ここにはアスリートファーストがあると心の底から感じて、やはりスポーツの祭典の原点はこういうところだよなきっと、と思う。

前回、リオデジャネイロ五輪で水泳競技で無敵の強さを誇った萩野公介さんは東京五輪ではメダルなしに終わった。だが彼は今回のオリンピックが今までの水泳人生のなかで最高に幸せでこれ以上はないと断言した。

彼がこの晴れの舞台で伝えたメッセージには、スポーツが選手にとって幸せな存在であることの彼なりのたどり着いた答えが込められている。

オリンピック憲章にはメダルの数を競わないようにと書かれてあるのだ。

原点であるオリンピック憲章と、現場のアスリートたちの幸せな笑顔と幸せについての発言を取り上げてみると、大切なことが浮かび上がってくるのを感じる。

その浮かび上がってきた答えも数多ある価値観の一つに過ぎない。世の中は多種多様な価値観で渦巻いている。自分の価値観ぐらい自分で責任を持つために、

僕たちはいまひとつ本気で目の前の現象に向き合い、自分なりの価値観をそこからつかまないといけないように思う。世の中の空気が何であれ、自分だけの価値観だけはあなたにとって本当の価値を持っているのだから。

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