関ジャム良き(世界の価値の総和について。

昨日は立春でした。
春が立つと書いて立春の割にはとても寒い日で、ちょっと気圧もおかしな感じがして微頭痛。肩甲骨のあたりも内側から鈍痛。身体の中では冬と春の駆け引きが見えない力で行われているようでした。

お店としても何時ぶりか分からないくらい、全ての動きが停止しました。まあ日々儲かって仕方がないということは決してなく、基本は低空飛行なのですが、それでもいくばくかの動きはあったりするのがゼロ。

まるで一つの区切りのように感じつつ、そのまんまに受け取って芸がないのだけれど立春は静寂でした。

たまに見るテレビ番組に関ジャムというのがあって、先日の回はとても刺激を受けたのでティーバーなる再放送サービスで観覧した。

三人ともそれぞれに変態で、素晴らしくカッコ良い。技術や芸術性の専門的な素晴らしさはググれば色々なヒトが考察していると思うのでそちらに譲るとして、三人の佇まいには今の時代の若者たちの豊かな資質を感じたように思う。

それは簡単に述べれば、同調圧力やマウンティングのない個の資質をひたすら研鑽し、そして他人をリスペクトできる精神性と言えば妥当だろうか。

彼らは緊張しない。そして楽しそうに表現するし、自分の演奏が終われば役目は終わったという態度ではなく、隣で誰かが演奏していればテレビ映りなど気にせず楽しそうに身体を揺らし、真剣に聴き、貪欲に学ぼうとする。感動していることを素直に表す。

彼らの演奏に感嘆しそのことを賞賛しようとする関ジャニ∞の面々の口にする言葉の多くが、一般的な価値観になぞらえようとする形容詞や例えだったりして(サバンナ高橋さんが楽器と言えばエレキギターちゃうのと言うのを聞いて、そういえば子供時代に音楽をやる時にエレキギターがヒーローだったのはいつ頃までの話だろうかと疑問がわいた)、彼らはお茶の間にとってのプロなので、視聴者にウケる言い方をしようとするのだから、演奏する三人とテレビを観ているお茶の間の見えている世界そのものがこれほど分断されているのかと、ちょっとした衝撃を受けた。

これ、視聴者がこういう次元でテレビ番組を楽しもうとしているのか、テレビ関係者は一度真剣にリサーチして、軌道修正する余地があるならそうした方が良いし、もし視聴者の大多数がこういう感性でいまもテレビを観ているのなら、もうテレビは現代を生きる表現を映す媒体ではなく、昔の時代を振り返るだけのメディアになっているのかもしれない。若い世代はテレビを観ないらしいが、テレビを作り、回している基準に違和感しか覚えないのだろうと感じた。

私たちの世界は急速な変化を迎えているが、世界を形成する若者世代はとっくに変化を遂げている。我々旧世代がいかに変化を理解し、自ら変化を受け入れるのかで世界は平和に向かう可能性があるのだろう。

もし世界の価値が総和として変わらないのだとしたら、

価値とは素晴らしいものに宿っているはずだ。

現在、素晴らしいものは何だろうか?

そこにある価値をどう人類の生存に結び付けることができるのか。

僕はそういう視点で生存を目指したい。

なぜなら生きている過程自体が素晴らしくそして楽しいものになる可能性が高いからだ。

公開した後にSNSで目について読んだ記事。現代の若者に感じる精神性に共通するものに思えたので付記しておきます。(ハワイアンと神道に共通する精神性。そのことと、英語訳したものを日本語訳した直訳感。ヨーガで昔感じた違和感と共通するものを受けました。真理、と呼ばれる概念なんかと通じることかなあとうっすら思えております笑


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