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友情?考察

 友とは、神様の決めたご縁が全てのように思う。

 なかでも熱心に連絡をくれて、会う約束して、ランチする、というのはかなりエネルギーを使うから、友と会うのが趣味の人でないと簡単には実現しないと思う。

 過去に、絶対に私から誘わないと会わない友、絶対遅刻、だったり、不倫相手と会うためのだしに私をした上に、平気でその報告してきた友もいたし、人の思いには縄つけて矯正などできないから、それを受け入れるか離れるかの二択を迫られたりしたこともあった。

 腐れ縁だったり、利害関係結んだりする友はいないから、私の人付き合いがとてもドライで深入りしないところが良しと自分では納得してる。

 友を作ろうなど思わずに、今あるご縁をひたすらに大切にすることを学んだ。

 若い頃は、ご縁はどんどん流れ込んで来て雪崩のような激しさの中でたくさんの、ご縁もあったけれど、そんなことで大切にしなかったと思う。

 良くサッカー⚽とバスケ🏀のゴールで例える人がいるが、若い頃は、バスケ🏀のゴールのようにどんどんなだれ込み、そのポイントの価値も低いが年を重ねてからのサッカー⚽のゴールのように一点が一生の宝になるような出会いはあるのだ。

 もちろん若い頃のご縁を大事にするべきだったなぁとは思うこともある。

 流れた年月は巻き返せないけれど必ず新しい1日は、やってくる。

 高尾山と富士山が目の前にそびえているとして、山を愛する気持ちは同じであるし、「なぜ登るのですか?」と聞かれても答えは人それぞれ違うだろうと思う。

 今私はとてもお元気で活発な高齢の方々と頻繁に交流してる。恩師であり、その教え子の皆さんだ。

 20代の頃に夢に描いていた未来地図を40代の今実現できてる。

 中学生の頃の夢は短大、20代と実現した。

 未来は、見えるのかもしれないと感じたりする。

 40歳最後の今年ヴィジョンを描くことを忘れていたことに気づいた。

 輪郭は大まかで良いから描こう。

 旅ではない、交際でもない。

 私の目指すのはまさに家庭だ。

 家庭をもっと大切に、暮らしを丁寧に。

 私を応援してくださるみなさまに取って私の文がより楽観的で楽しく豊かに響くように。

 そして孤独をこよなく愛してることを一緒に味わっていただけたら。本望なのです。

 私は素晴らしい家庭に生まれ素晴らしい家庭を大切にする夫に拾われました。

 私の小学生の頃のヴィジョンは、キャリアウーマン、大学教授、アナウンサーでした。

 そして中学生の頃のヴィジョンはスケールの大きな遊びがしたい。

 高校生ではパラグライダーに乗って空を飛びたい。

 短大では先生になる、

 20代の頃のヴィジョンは毎月100万円のお小遣いでピアノ、クラシックバレエ、コンサート、手紙を書く、洋服を買う。

 40歳最後の今年のヴィジョンは、家庭第一。

 神様に導かれた道と思えばすっとします。

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