苦態

2021/6/15

虫の中には天敵に狙われないため擬態するものがいる。
目をつけられ襲われないように、自己を守ることも、逃げることも、戦うこともできないから、ただ隠れる。とても利口だ。
私も自己の守り方がわからなかった時、剥き出しの心が実に傷つきやすかったとき、左右前後目標や好き嫌いや好奇心がはっきりしてなかったとき
何かに追い立てられ、コミュニティに属さなければならなかったとき、目立たないように主張しないように、群衆へと、集団へと擬態した。
私の好きが芽生え始める前に、よそ者の心を借りて擬態をはじめた。
時には、悪いやつに目をつけられたくないから、悪いやつに身を隠した。意見なんてもとめられていないだろうから、黙って遠慮し、その場をやり過ごした。特に趣味なんかなかったけど、嫌われたり、日陰ものになる勇気がなかったから、浅く手に入れた興味のない知識で、似た者同士の輪に入って同調した。
すると次第に私は私でなくなっていく。
周りに同調する。擬態する。角を落とす。主張を控える。丸く丸くなった自分のモノサシを歪まし続けた結果。
狂ってしまった感覚が、本当に好きなはずのもの、興味あるはずのものを鈍らせた。
身を隠したのはいいけれど、成虫への成り方をわすれてしまった。
いつになれば、成虫になる時がくるのだろう。
私は何になりたくて、なにになるはずだったのだろうか。すっかり周りと同化することに馴染みすぎた体が気持ち悪く私自身から浮きだす。
見つけて欲しいときに、見つけてもらえることができるのだろうか。
私は何を言い、何のために行動し、何が好きで、何が嫌いで、この感覚は本当に私のものなのかさえ疑わしい。
きっと惨めな幼虫が日に焼かれそのまま見窄らしく誰にも気づかれないままコロッといなくなるだろう。
体中にたっぷり詰まった吐口のない苦さだけが体内でたたえた死体だけが生々しく路肩に転がる日がくるのだろう。
その苦さは誰にも知られない。
なれるはずがない成虫
憧れを殺し、享楽を潰し、にじる力もなくした。
私はいったい何に擬態したのか。何に擬態したかったのだろうか。背景と過去がぼやけて、走馬灯も浮かばないのだろう。

襲われる覚悟があるくらい、綺麗に華やかに舞って、生きることを主張できる日がくるのだろうか。
舞うのは果たして私なのだろうか

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