金木犀の香るころ(ショートストーリー2本)

(2本立てのショートストーリーです。名前が変わるほどせっぱ詰まりすぎて思わず書き上げました。にゃーーー。AM1:06。)


ー金木犀の香るころー


「加藤が配属されてもう3年になったな。」上司の西村係長が穏やかな笑顔で感慨深げに微笑む。昼下がりの会議室に暖かな日差しがさんさんと差し込んでいた。

「やっと3年ですか・・・ここまで来れたのは西村さんのお陰ですよ。」加藤と呼ばれた若者はまだ25、6だろうか。デスクワークながら、会社指定の黄緑色の作業着に身を包んでいる。いつでも現場に馳せ参じられるように、という会社の方針だ。「オマエとの最初の一年は大変だったよ。オレ責任取って辞めさせられるかとまで心配したぞ。」西村が人懐こい笑顔で言う。「・・・何てお詫びしたらいいのか・・・」かしこまって恐縮する加藤に西村は「あーもうもうもう、いいってばそんな。ま、大変だったのは事実だけど、過ぎちまえばいい思いだわな。」そう言って窓の外を見た。かつては小さな町工場から始まり、拡張に拡張を繰り返して、今では窓の外には連なる工場の屋根しか見えない。

「失敗ばっかりしてたオマエさんも変わったよな。」加藤に目を戻しながら西村は過去をふり返る。グループ会社の世界会議の際に、直属の部長のプレゼン資料を前日に誤って消去してしまった、なんてのは序の口だった。「あんときゃー部長と次長に大目玉食らったなぁ。」「・・・徹夜で作り直しましたね・・・」固くなっている加藤とは対照的に、西村はどこか楽しげだった。「それが、今やシンガポール工場の特注設計の部長補佐とはなあ。」固かった加藤の表情にようやく笑みが浮かぶ。派手な失敗にもめげずに粘り強く失敗の芽を摘み取り改善し続ける姿勢が、今回赴任する部長に買われたのだ。「こんな自分を諦めずに叱って励まして下さった西村さんのお陰です。」そう言って深々と頭を下げる。「よせって。オマエはカタいなあ。もっと気楽にせんと、どっかでつぶれちゃうぞ?ほら、オレみたいにもっと柔軟にだな、こう・・・」そう言って手足をひらひらふにゃふにゃさせる西村に、加藤は思わず笑ってしまった。「そうそう、オマエは笑ってる顔が一番だよ。・・・手放すのは惜しい、そう言えるくらい成長したなあ・・・」西村は窓に歩み寄り、外の風を入れた。

「・・・おっ」「何の香りですかね?」爽やかな香りが、秋風に吹かれて会議室に舞い込んできた。「なんだ、金木犀だよ。知らないのか?」「てっきりトイレの芳香剤かと思いましたよ。」「なんじゃそりゃあーーー」わっはっは、と西村は笑う。「僕らの世代は、身の周りがそういう人工的なものばっかりですよ。」「しかし会社になかなか粋な木が植えてあったもんだな。知らなかった。」「・・・いい香りですね。」加藤も香りを楽しんでいる。肩の力がフッと抜けていくようだった。

「加藤、シンガポールはなかなか変わった料理がたくさんだぞ。オレは緑豆のスープっていう、お汁粉みたいなやつが好きだった!どうせ行くなら、めいっぱい楽しんでこいよ!」「そうですね。楽しみです。」「向こうに行っても、たまに手紙よこせよ。メールもいいが、どうも味気なくてな。」「手紙ですか・・・努力、します。」「まあ、オマエが元気でいてくれたらそれでいいがな。」うーーーん、と西村は大きな伸びをした。「・・・よし!午後の仕事も片づけちまうかあ!あと引き継ぎで終わってないものはあるか?」「部内の人に少しだけです。今日くらいがんばって定時で帰りたいですね。」「お?定時上がりか?いいねぇー。オレも付き合うよ。」「えー?西村さんできます?遅れたら今日はお先しちゃいますよ。」二人が出ていった会議室に、閉め忘れた窓から金木犀の香りが漂い続けていた。



*   *   *   *   *   *   *   *



ー金木犀の香るころー


「お待たせ!」薄手のパーカーにふわりとしたスカートの幸(さち)がカフェに到着した。「うん、待った。」外のカフェテーブルに座る青年がさらりと答える。「ごめんんんーーー」「うそ。俺もさっきついたとこ。」「・・・もーーー!」ケラケラと悟(さとる)が笑う。二人とも大学4年生だ。「もう頼んだ?」「まだ。俺はミルクたっぷりのカプチーノ。」「えー待ってよ、どれにしようかなーーー・・・」メニューをのぞき込む幸のつむじが可愛くてつい見とれてしまう。(・・・触ったら怒られるかな・・・)ぼーとそんな事を考えていると、がば!と幸が顔を上げた。びっくりした。「美肌ハーブティーに、シフォンケーキ!」目がハートになっていた、ように見えた。

「ふーーーーーっ」飲み物に至福を噛みしめる二人。「・・・ねえ・・・?」幸が両手でカップを温めながら悟に上目使いな視線を送る。「・・・ん?」取っ手に中指を通して、大きなカップを大きな片手で飲み干した悟が答える。「今日って、何の日だっけ・・・」「10月6日、学生や未成年者のカフェバー出入りが禁止された日。1934年。」すらすらと答える悟。幸の目が点になる。「・・・なにそれーーー?!?」「今日の新聞に出てた。あと、エジプトの何とか大統領が暗殺されたって。」幸の髪の毛が逆立っているように見える。「信じらんない・・・もういいよ!」ぷい、と席を立つ幸。「・・・ありゃ・・・やりすぎたかな・・・?」悟がカシカシと頭を掻く。

「・・・もうひどいよ!もう、もう!」化粧室で鏡に向かい、若干涙目になりながら幸がひとりごちる。「つき合い始めてちょうど2年になるのに・・・」出会いは大学のコンパだった。他の男子に比べて無口だったが、要所要所で自分のことをちゃんと見てくれている、と有形無形で伝わってきて、惹かれたのだ。その日の帰り道、繁華街にも関わらずどこからか金木犀の香りが漂ってきて、まるで二人を祝福してくれているようだった。

悟は4月から大手企業への就職が既に決まっている。幸はまだ何も決まっていない。このままだと実家に帰って家業の手伝い、というコースが濃厚だった。「このまま離れ離れ、になっちゃうのかな・・・もう、だめなのかな・・・」じわっと涙がにじむ。

ようやく気持ちを落ち着けて幸が戻ってくると、いつもは落ち着き払っている悟が、どうも落ち着かない。上を見たりポケットの中を気にしているようだったり、いつもの悟らしくない。「・・・?どしたの??」「あーーー、その、」自分の中にあるありったけをかき集めているような、そんな感じがする。「・・・うん。」何か、吹っ切ったようにごくりとつばを飲み込んで、幸の前に高級そうな布でカバーされた小箱をことりと置いた。

幸の鼓動が早まる。
悟は赤い顔をして、それでも幸をまっすぐに見つめた。

「学校を卒業したら、結婚しよう。一緒に生きていこう。」
幸の顔が紅潮する。

「・・・ほら、俺たちが付き合い始めたの、ちょうど2年前じゃん?あの時・・・」そう言って、小さな木の枝を差し出した。ふわり、と香りが幸の鼻をくすぐる。「・・・これ・・・?」「あの時もこれ、香ってたろ?近所の庭から拝借してきた。」小さなオレンジ色の花をたくさんつけた、金木犀の枝だった。

緊張、安堵、香り、歓喜

いっぺんに色々な感情に襲われて、幸は力が抜けてしまった。声が出ない。普段から感情過多な幸がやけにおとなしいので、悟もさすがに不安になってきた。「・・・もしかして、嫌だった・・・?」恐る恐る尋ねる。

涙が、すーっと幸の頬を伝った。「え・・・?そんなに・・・??」心臓が、ぎゅっと締めつけられる。「・・・違うの・・・。嬉しくて・・・。」ほろほろ、とあふれる涙をそのままに幸は答えた。「・・・そうか。よかった・・・。」そう言って悟は小箱を空けると、お世辞にも高価とは言えない指輪を取り出した。「手、出して。」幸が震える左手を差し出すと、悟はそっと指輪をはめた。「来年の、金木犀が香るころ、結婚しよう。卒業したら、幸の親にも会いに行く。」「・・・さとるー!!!」感極まってガバと抱きつく幸。「うわ、ちょ、やめろよ恥ずかしいっ!」「だってだってーーー!」周りの客からは苦笑とも祝福とも取れる小さな笑い声が聞こえてきた。カフェテーブルの上で、金木犀の枝があの時と同じ香りを放ち続けていた。



(了)

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