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聖歌472 人生の海の嵐に

たい(うたうたい)
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人生の海の嵐にもまれ来しこの身も
不思議なる神の手により命拾いしぬ

※いと静けき港につき 我は今安ろう
救い主イェスの手にある身はいとも安し

悲しみと罪の中より 救われしこの身に
誘いの声も魂揺すぶることを得じ


すさまじき罪の嵐のもてあそぶまにまに
死を待つは誰ぞ直ちに逃げ込め港に




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賛美歌・聖歌は、要は【白人霊歌】とも言うべきもので、
基本的にきれいできよい世界を歌っています。
(対して黒人霊歌がいわゆるゴスペルと言われるジャンルで、人間の現実をもっと生々しく歌い上げつつ、それを超越した希望へと心を向けさせてくれます。)

白人霊歌と黒人霊歌、どちらも聖書が語る真理と希望、そして創造主を信頼し続けた作者たちの歩みから生まれたもので、自分はどちらも好きです。

自分が賛美を歌うのは、自分がそういう生き方ができているからとか、きれいできよいから、ではなくて、むしろ逆で
きれいでも何でもない自分だけど、こういう世界に生きられる、こういう世界があるんだ、そう思い起こすことができる。それが希望なんだと思います。

だから、それを思い出すために、そして自分の魂に言い聞かせるために、繰り返し繰り返し歌い、口ずさむ。人は自らが発した言葉によって人生の舵をとって行く、と新約聖書のヤコブ書に書かれています。だったら、信仰の先輩たちの宝石のような言葉を自分も授かり、彼らの生きる姿勢や目指していたところを自分のものにしていきたい。自分が賛美を歌う理由の一つはそんなところです。

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