旅の思い出

シンガポールは久しぶりにアジアの夏の蒸し暑さと、それにまつわる様々を思い出させた。肌に張り付いたシャツと、ときたま流れてくる風の涼しさ、あるいは不自然なまでに冷房の効いたショッピングモールに足を踏み入れたときの感覚。今回は宿泊先から会場までの送迎、その後の空港までの送迎まで、若いシンガポール人スタッフが担当した。シェンディというその女性は常にリュックを背負ったまま影のように我々に寄り添って全ての進行が滞りないようにする。我々はただ彼女の作った道を通っていけばよかった。

ホテルでは日本と韓国の関係が日に日に悪化しているかのようなニュースを目にする。ついに新聞では「日韓戦争、自衛隊はどう戦うか」という書籍広告が載った。もう一つ、雑誌のタイトルで「日韓開戦、韓国よ、ならば全面戦争だ」なるものが発行されるとある。これを見た日を絶対に忘れないだろう。8月24日、新聞雑誌が具体的に、戦争という言葉を使った。
戦争の具体的可能性についてわたしは何も知らない。しかしいつから日本人は、出来るだけ争わないように調整しながら平和を模索することをしなくなったのだろう。平和を愛さなくなったのだろう。日本を離れる前にわたしが持っていた漠然とした日本人像に、日韓戦争、日韓開戦、という文言は相当な揺さぶりをかけた。

シンガポールでのライブ後、一日のオフがありチャイナタウンをぶらついた。雑居ビルのなかにいくつもの商店が肩を並べている。寺院の前の広場ではカラオケの声が鳴り響き、老人たちは縁台で中国式の将棋をやっている。一服してメンバーと雑談していると真っ白な制服を着た二人組に日本語で話しかけられた。聞くと商船学校の学生だという。彼らは半年の航海の後、卒業してタンカーなどの輸送船に乗ることになる。一年の半年は海に出て、かなりの高収入が見込めるがやはり過酷であるそうだ。そのぶんシンガポールでは売春宿に行くのがなによりの楽しみだという。まだ二十代前半くらいの二人は額から汗を流しながら快活に笑った。その快活さは、長い航海のあとで出会った同じ故郷を持つ人間への親しみで溢れている。曖昧に受け答えしながら眺めたその笑顔と、話の内容との距離感を今も測りかねている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?