欧州紀行6

翌日のプラハのライブが近隣のトラブルかなにかでキャンセルされた結果ベルリンに二日間滞在することになった。ライブではオーガナイザーとの会話で地方都市におけるヘイトデモの話を聞く。数千の人々が反移民政策など、差別的なデモを実行し、そのすぐ後でそれに対するカウンターデモに、10倍ほどの人数が集まったという。このような話題はローマでも耳にした。
ベルリンはベルリンである、という、メッシーナで出会った男性の話が思い起こされる。彼は他のドイツの都市とは違ってベルリンの特殊性を強調していたが、その理由はやはり地方都市と違い世界中から人々が集まり形作る集合体としての都市が、その歴史の重層性と関連しあいながら融合を図っている点にあると思われる。
それらは市民の歴史を忘却しない努力のうえに成り立っており、例えばベルリンの壁があったエリアには青いパイプが伸びており、かつてそこには対立が存在していたことが、あるいは道の真ん中には金色のブロックがあり、そこにはかつてそこに住んでいたユダヤ人がいつ、どこに連れていかれ、いつ亡くなったのかが刻印されている。負の遺産を街の記憶として、忘却させない努力はそこに生きる人々の、過去から未来へと続く自分を含む個人が、歴史的にどのように存在しているかという極めて知的な考えに基づいている。我々が現在の社会でどのように振る舞うかという問題へのひとつの示唆が、確実にこの都市にはある。

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