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S夫は農閑期には工務店のような仕事を請け負った。大工道具を持って来るべき冬に備え、トタン屋根の張り替えや、木材で道路の防風壁を建てる。それらは役場からの請け負いで、開拓で移住してきた者に優先的に割り当てられる仕事だったが、決して賃金が高いわけではない。収穫した芋の蓄えを少しずつ食べながら冬の終わりを待つことになる。農場の馬や鳥の世話はK美や息子たちに任せて、時には泊まり込みで仕事にあたった。市制施行されたN市もまた、人口増加に伴う開発が進められており、開発のために駆り出される人足がまた人口の増加につながるといった具合だった。S夫にはこの変化が少し気がかりであった。ただ人足として駆り出された人々は、ここが終わればまた次の現場へと町をあとにしていく。もとより交通の拠点であったN市は、にわかに商業地として盛り上がりを見せており、既に復員軍人の就業としての開拓は過去のものになりつつあった。もはや20年近く前、あの役場で会った親子は、なにをしているだろうか、とS夫は考えるのであった。なにしろ大半は入植して数年で、あまりの過酷な環境に根を上げてここを離れていくのだ。初めての冬が思い起こされた。よく晴れた朝に、遠くの雲がまるで凍ったように動かず、朝日を浴びて紫に染まるのを見ると故郷のことが思い出される。肥沃で温暖だが、その土地に縛られていることに我慢がならなかった。それはささやかな、自分への忠誠心の発露でもあった。土地ではなく別の、国家の計画に従事することはS夫にとって、先の大戦から戴いた観念だったのだ。
年の瀬になってY美とN美が帰省した。馬橇を駆ってS夫は3日前から駅に通い続けていたのは、年末には帰省するというN美のいいかげんな手紙が原因で、まだ家には電話が通っていなかったからS夫は夕方着くA市からの最終列車の来る頃を見計らって駅で待つことになった。。
その日は大雪で、揃いのスカーフを頭に巻いて慌ただしく駅から出てくる娘たちの姿を見てSは感慨にふけった。それは実りであった。痩せた土地に手を入れてからこっち、地面だけを見ていたような気がする。ひとりでに歩き出した娘たちにできることはなんであろうかと考えても、S夫には娘たちの思考などはじめからわからないのだったが、N市に降り立った娘たちの快活はS夫を充分に満足させた。
引き戸の隙間から雪が入り込み土間になだらかな雪溜まりが出来ているが、年越しの準備で火を炊けば中は意外に暖かい。母が煮炊きをしている中N美は大学での出来事を弟たちに語って聞かせた。堅物のJは楽しげな姉の変化を、ある種の警戒心を持って聞いていたようである。ましてや長男に対する両親の期待の大きさに彼は知っていて、その禁欲的な佇まいをもって、あえて親の介入を拒むところがあったから、N美の無防備は両親、特にS夫の認識に影響しそうな発言は避けるよう誘導したかった。
話題は現在のN美が関わる学費値上げ反対運動に至った。それは集まり、将来を語り合う仲間がたまたまその運動に関わっていたに過ぎなかったろう。しかし、いかにも楽しそうに話すN美の口調に、やや離れたところで聞いていたS夫は激昂した。そんな浮ついた集まりはやめろ。S夫は座ったまま読んでいた新聞をぞんざいに放り投げて言い放った。
何故?学費が上がれば父さんだって苦労するのに。
そんなものはお前が心配することではない。
S夫にはお上が決めたことに、よってたかって若い者が反対することがどうにも理解できないところがあった。
授業料が上がるのはそれだけの理由があるからだろう。お前に理由がわかるのか?お前はただ黙って、勉強しておればいいのだ。
N美はS夫の言葉に不満を持ったが、いくら仲間の話をしても無駄であった。Y美もN美に加勢した。S夫も姉を信頼しているところがありむげにはできないことを知っていたからである。しかしこのときばかりは無駄であった。彼には娘たちの、時代が違うという言葉も、その目指す理想もどこか浮ついたもののように見える。それは戦後の、価値転換してなお彼に残っていた漠とした忠義を刺激した。
誰かの言っている言葉を頭から信じて、それでうまくいかなかったらどうする。学校はつぶれるかもしれんぞ。ともかく、お前は黙って勉強するのだ。そう言うとS夫は吹雪のなか馬小屋へ行ってしまった。
S夫の聞く耳のなさに、姉妹は呆れたが、K美だけはS夫に同情的であった。わたしにもよくわからないけれども、と前置きしてからK美は言う。お父さんはよくわからないものを娘がやっているのを心配している。でもそれが良いと思うならやればいい。

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