渚ようこのこと

渚ようこの訃報はヤフーニュースで見た。彼女とは東京に移住してからの一時期、交流があった。出会いは drive to 2010というイベントで、新宿ロフトのバースペースでシベールが演奏し、隣の大きなステージで渋さ知らズのゲストで歌ったのが彼女だった。歌い終わった彼女は渋さ知らズのステージに裸の中年が出てきた事に辟易して隣に移動し、そしてたまたま我々の演奏を見た。
演奏終了後に興奮気味に声をかけてきた時の彼女に、はじめから関心があったわけではなかった。我々のアルバムを出すために自分のレーベルを始動させたい、という言葉にも、ああ、そんなによかったんなら、勝手に出せばいいんじゃないの。と思ってアルバム1枚分の録音を渡したが、それから彼女の熱量に引っ張られる形でいろいろやった。彼女からしてみたら、昔の自分を見るようなところがあったと思う。それは、一人孤立した状態で衝動をどこに放出したら良いかわからない。仮に放出したとして、それが理解される可能性が恐ろしく薄い、そのくらい重層的な文脈を把握できていないとわからない高度な表現を、私だけは理解できるからそれをしかるべき場所で紹介しなければならない、そういう責任感のようなものが感じられた。それからいくつか一緒に音楽の仕事をしたが、彼女はいつも私をわがままな王子のように扱った。エレガント狼藉者、という称号ももらったが、その実、手を焼いているようでありながら、奇妙な共犯関係があって、それを互いに演じている節があった。
結局別々の方向に進む事を伝えたが、それも共犯関係のなせる業だと思ったものだった。どこまでも生意気な自分に、呆れ果てる形で放り出す事もまた規定の事実として用意されていたように感じられる。それ以来絶縁状態が数年続いて昨年、久しぶりに汀を訪ねた。店は変わっていなかったし、あの独特のよそよそしさもまた変わらなかった。傷ついた事を隠す時、ひとは日常の行為の手順をより慎重に行おうとする。彼女と久しぶりに会って感じたのはその慎重さだった。
彼女のために作った曲が一つあって、なぎさ、と言う曲だったがその曲を無断で自分のアルバムに収録した。そのことは心残りで不義理を働いたと感じていたからその事を告げたが気にもしていないようだった。
この曲はいなくなってしまった人たちにとらわれた人間の心情が歌われている。その渚ようこがいなくなって、また一つわたしにはなぎさが残されたようである。

昼と夜の間に揺れる さざなみの音が私を慰めるけど
時の流れに溺れてゆけば 二人の砂の城は崩れてゆくの
繰り返しているのは 見つけて欲しいから ほらね
耳すませば 私の名前を呼んでる

こちら側も あちら側も それほど違いないと あなたは笑うでしょうか
疲れ果てて倒れこんでも まどろみの裏側でカーテンが揺れたら
迷わずに駆け出して 探してしまうけれど 今日も
やっぱり 聞こえるのは 波の息遣いだけ

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