欧州紀行3

11/6
昨日はオフでナポリ近郊のサレルノからキャラバッレへ移動。
車中でエドアルドからイタリアのパンクロックについて聞く。80年代後半から90年前半はイタリアのパンクロックの全盛期で、なかでもCCCP、チチチピ、ソビエト連邦という名前のバンドが影響力を持っていた。CCCPのボーカルはイタリア語による激しいアジテーションと語りのようなスタイルでそれ以降イタリアのパンクバンドは彼のような語りと歌との中間のようなスタイルが流行した。
当時のイタリア、彼らの出身地は農業から工業へと主要産業が移行する時期で、そうした軋轢と極左の活動がさかんな地域柄、歌詞は露骨にアナーキズムに影響されていると感じられる。しかしパンクバンドがその衝動的なスタイルを、活動を続けるうえで知的なものに変えていくのはよくあることだが、CCCPもその例に漏れない。その変化の仕方は非常にイタリア的なものだと思えた。美麗なメロディと重層的な音の重なりは後期CCCPの特徴と言えるだろう。
思うに真にパンクロックがアジテーションとして機能していた時代、その活動を続ける際に、メッセージの有効性を保持あるいはより拡大するために音楽性が知的で複雑になっていくのはよくあるように思える。それは真に社会変革するという意志をもった純真な人々の、葛藤の証しなのだ。

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