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KとN美は晴れてA市から離れた、W市での教員に採用された。新任の頃に僻地に赴任しておけば数年後A市や、ほかの都市部に赴任し続けることが有利であるためであった。W市はA市よりさらに北に位置する港町で、二人は数年以内に結婚する予定であったが、それはあくまで二人の間だけでのことであり、新任の教員ふたりが既にできている、という噂は職場や狭い街の父兄に話題を提供することになった。Kは公然と校長以下先輩教員にも結婚の意志を宣言したものの、聞き流された。新任のKの宣言は同僚には生意気に映り、Kへの評価はあらかじめ厳しさを伴うものとなった。N美は多少肩身の狭い思いをしながらも、そういう時より大きな不安、例えばY市に移住した家族のことを考えることで紛らわせた。このように解決不能な不安感でより近い現実の問題を慰めることができることをN美はこのとき知った。無論現実の、学校現場で起きることは無視できずとも、狭い教員住宅に帰れば家族について悩めるから、Y市への手紙は学校での問題に比例して増えた。Kは毎日の放課後の研究授業と徹底した授業研究が課せられ、その指導には校長があたった。一言一句を間違えず時間配分を考えながら行うその授業研究は、科学的なものであったが、その科学的指導を支えるのは非科学的な、執念にも近いものに他ならなかった。Kが生意気に映ったのは幸運であったかもしれない。W市の基幹産業である漁業者の子どもが数多く通う中学では、当然卒業すると漁業者に就職することが約束されている。そのような環境にあっては勉強などさほど役に立たないものであり、必要なのは力であった。絶えず小競り合いが繰り広げられるのは無関係ではない。制度と、地域社会との間の生じた空白を暴力が埋めたのである。それはKの幼い頃の、剥き出しの生とよく似て、しかし根本的に違うものであった。幼い頃Kたちが渇望していたもの、充分な食料だとか、安全な眠りだとかはすでに約束されていながら、それでも選択された暴力を前に科学的指導は無力である。高台にあるKの学校からは海が一望できる。KとN美にとって海は移り気な真新しい知人であった。それはKの学校での営みと似ていた。言葉を交わしほんの少し理解できたと思った生徒が翌日には廊下の窓ガラスを破壊する。
そうして、暴力に対処しながらKとN美は結婚したのである。折しも200海里排他的漁業水域の制定によって漁業者は打撃を受けた時期であった。失業者は街から離れ、別の職に就く。景気の悪化に伴い学校内の暴力は更に激化したがKとN美は三人の子供をもうけた。

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