夜明け
ずいぶん長い間うつに罹患していたが完治の兆しが見えているため記念になにか残しておこうと思う。
おそらく原因になったのは東京で一人で生活していたことだ。孤独だった。両親が母方の家の事業の幹部ポストに引っこ抜かれていくと、中高一貫校の私は高校進学と同時に母方の地元へ行くか、東京に残るかを迫られた。後者を選んだ。
初めから一人暮らしはできないということで東京の父方の祖母の家に住むことになった。この時に抑うつの症状が見られ始めた。かなりひどい環境だった。祖母は田舎生まれだったから、虫が出ても一切気にしない人だったし、祖父が亡くなってからというもの、部屋はずっと散らかっていた。だからよくゴキブリだとかイエユウレイグモが出てきた。寝ている目の前をゴキブリが通っていき、足の上をゴキブリが這い、食事中には机の上にゴキブリが、挙げ句の果てにはサラダにゴキブリの赤ちゃんの死骸が入っていることだってあった。唯一の癒しは背中に白い模様が入ったトビグモの二匹だった。くーちゃんだとかもーちゃんだとかあだ名をつけて可愛がっていた。だから今でもクモを見るとなんだか友達にあったような気がして嬉しくて見入ってしまう。
まもなく毎日が憂鬱でしかなくなった。部活帰りに途端に涙が出てきて「家に帰りたくない」と先輩の前で号泣してしまうこともあった。そんな毎日は地獄だった。もう無理だと思った。人間は追い詰められると冷静な判断ができなくなる。だから首を吊った。その辺にあったよくわからない紐で首をくくって高さがあったベッドの柱部分に紐をくくって覚悟を決めた。ちょうどこの時期に亡くなった三浦春馬のNightDiverを流した。ループ再生や自動再生は切っておいた。首が圧迫されるとだんだん音が遠くなっていった。
気づいた時には床に倒れていた。祖母は帰ってきていなかった。柱にくくりつけたひもが解けてしまったらしい。頭が痛かった。そしてひどく気持ちが悪かった。喉も圧迫されたためしばらくは声が枯れたような状態が続いた。中途半端に死ねない自分がひどく嫌いになった。その数日後、両親に連絡して祖母の家を離れることになった。
祖母の家を離れてからは品川で一人暮らし(といっても女子寮のようなところで、管理人さんは常駐し、サポートはかなり手厚かった)を始めた。この頃は抑うつ状態からは抜け出していた気がする。高2までは委員長をやったり研究発表のプレゼンに力を入れたりと毎日が充実していた。その歯車が狂い出したのは高2の冬のことだった。あまりに生々しいので起こったことについては省略したい。そのあたりから毎日寝る前に死を願うようになった。死こそが救済だと本気で思っていたし、睡眠薬を多く飲んで翌朝を迎えずにいたいとも思っていた。
高3になって全ての役職が高2に引き継がれ、部活も引退するとますます症状はひどくなった。あいもかわらず自己嫌悪に陥る毎日だった。そのうち板チョコしか食べられなくなった。でもたくさん食べていたからか、カロリーは摂取できていて痩せすぎることはなかった。部屋も散らかっていた。全てに対してやる気が起きなかった。自傷行為も繰り返した。切って血を流す事が贖罪だと思っていた。だんだん寝るということができなくなり、とうとう心療内科にかかることになった。鬱と診断された。まあそうなだろうなとは思った。そして磁気治療を開始した。
2022年10月のこと。Twitterの某界隈に足を踏み入れた。当時付き合っていた彼氏に振られた事がきっかけだった。界隈では友だちもたくさんできた。でも寂しかったし寝られなかったし希死念慮は続いていた。
また冬に大きな事件が起こる。フォロワーの友人が自殺未遂を図ったのだ。1月30日のことだったと記憶している。某大学の入試を控えた2日前のことだった。友人から電話がかかってきた。もう死ぬ、川に飛び込む、とのことだった。悲しくなって引き留めたが無理だった。LINEの電話を切る時の無機質な音が耳に残っている。ひどく自責の念にかられた。人を止められなかった、殺してしまったも同然だった。その後人づてでその友人が生き延びたことを知った。安堵したが、友人の泣きながら言葉を発する音とLINE電話のあの無機質な音は今でも容易に頭の中で再生することができる。
そんなこともあり現役の受験結果はボロボロで浪人することした。両親が住む名古屋に来た。浪人の間もうつは続いていた。新しくうつった病院では躁鬱と診断されたが、実際どうだったのかはわからない。とりあえず毎日死にたかった。
受験には失敗した。しかし、だからといって鬱がひどくなるということはなかった。サークルにも所属し、楽しい、生きていてもいいかなと思う日々が増えてきたからだ。生きていてよかった、と思うようなことが起こることもあった。
そして今に至る。京都で一人暮らしをするようになった。ずいぶん西の方まで来てしまった。死にたいと思う日は今はほとんどない。
長い長い夜が明けた。真っ暗だった空に少しずつ光が差し始めた。鬱の間、散々人に迷惑をかけたと思うけれど、少しだけ日に当たってもばちは当たらないだろう。日がこんなにも心地良くてあたたかいものだとはすっかり忘れ切っていた。
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