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映画『関心領域』の感想

『関心領域』を観ました。

眠くなる映画ってあるじゃないですか。淡々とした描写ばかりとか、監督の「オレの考えた最高の映像表現をみろ‼️」主張が強いアーティスティック笑な画がずっと続いてるとか。
映像表現そのものに強い関心がある映画ファンからしたらもうずっと眺めてたい‼️ってなるんでしょうけど、ワイは浅い浅い一般映画ファンなので、そういうのは「ダルいわ笑」としか思えず気付いたらスヤスヤしてしまうし、『関心領域』も淡々とした映像が多いと聞いたのであまり集中出来ないかもな…と思ってました

結論から言うと、眠るなんてワイには無理でした。

アウシュヴィッツ収容所所長一家の幸せな暮らしが定点カメラで淡々と映される中、すぐ隣の収容所から、遺体を処分する焼却炉が稼働する地鳴り、囚人を罰する鞭打、銃声、囚人達の悲鳴が遠くから延々と聞こえてくるから、そして焼却炉やユダヤ人を載せた列車から昇る煙が画面の端々に映りこむからです。観賞中神経が緊張し続けていたからです。

そんな環境下での所長一家の暮らしも、略奪品の気に入った服についての談笑、誕生日祝い、転属話で揉める所長夫婦というかヒスる妻等、いやどういう状況やねんとツッコミも無い為すぐ隣の殺戮への無関心が際立ち、淡々としているのに緊張が途絶えません。

エンドロールの音楽も不協和音に人間の悲鳴に似たシンセ?音を乗せた、映画を締めくくるに相応しい不気味音楽で観賞後の緊張感と不安感を更に増大してきます。(サイレントヒルのBGMとかの不気味音楽が好きな人には刺さると思います)

映画で観客を眠くさせない方法として「その手があったか!」と「それだけはマジでやめてください………」の心がふたつある~……………

観賞後、映画館を出て駅の成城石井でお買い物をして電車に揺られ帰途につく間も、無意識に駅の喧騒や電車の騒音の中の僅かな隙間に悲鳴が聞こえてくるんじゃないか、何か聞き逃しているんじゃないかとずっと耳の緊張が取れないままで、家でオフトゥンを抱きしめ横になりながらスマヒョでこれ打ち込んでる今も脳みそがギンギンしています。

今では逆にこの映画で寝落ちする感性はヤバいと個人的に思いますし、ツイーターで感想を眺めていると「退屈だった」とかの言葉で語っている人を普通にブロックしてしまい、メディア形態問わず作品の評価は人それぞれで当たり前ではあるけど、この映画を退屈に感じる人だけはワイは避けていきたいな…と思わせる映画でした。

みんなで関心領域を観て、自分の『関心の領域』を測ろうず!!!!

追記(2024/06/07)
※ややネタバレあり

終盤の主人公が真夜中の階段の踊り場でオェ~して、何かを察した様に真っ暗な通路の先(=カメラ、映画の鑑賞者)を覗き込む描写の後に現代のアウシュヴィッツ博物館の場面になるシーンには、主人公の抱えるプレッシャーの正体が、時を越えてその行いを監視している鑑賞者達我々の視線で、どんなに自らの所業に無関心を貫こうとも、いつかは関心を持った誰かにその無関心と所業を観測され、糾弾される、必ず見られているゾ~というメッセージかもという解釈も面白いなと思います。
そうなると監視するかの様な定点カメラ撮影がまた別の意味を持ってきますね。