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2004。孤独な、何者でもない誰かの詩

それから、もう4年が経ちました。2000年の1月から、4つの春が過ぎていきました。
私のこの小さな部屋に、4年の時を経て、ふたたび洪水が去っていった後のように、多くの湿度を持った木の板。木の板が、水を吸って、ふやけて。窪んでいます。
4年という月日はとても短く、気がつくと過ぎ去ってしまうようで、私の部屋からも、すべてが消えていなくなってしまいました。

24時のピアノの音が、遠くから来て、私の部屋を訪ねてきました。
しばらくして弦楽器の音も、そこに不協和音のようにあわさって、しかし、別れの挨拶をして出て行ってしまいました。

あなたは何を持っていますか?私はそれを知らず、ただ、あなたの音の足あとだけを追って。あの駅を何度も来ては通過してく列車のように、激しさが数え切れないほど通過して。
まだスティールの棚からぶらさがったカール・コードは下を向いてカナ色の口を差し出している。

あの音は私たちを呼んでいるようで、つい、私も誘われて、耳を傾けてしまいます。そこはどこですか?私は聞こえています。呼んでいるのは誰ですか?均整のとれていない世界の、あるいは緑色や灰色や、青や水玉模様の世界の、多くの人たちの、とてもやさしい人たちの、顔をひとつひとつ、私は見ることができない。ただそれが悲しくて、私はその音に誘われても、その快活で、奥行きのある、ことばのある方角を、見ることができなかったのかもしれません。
***
地下鉄を途中で降り、そのひとは、階段をのぼったり、くだったりして、世界の流れから零れ落ちないように、必死に。

すべてから、遠く離れてしまった。私は、私なりに色々なものを取り合わせて、整えて、そうしているつもりでしたが、それはとてもとても、見当はずれの行いで、私は全ての岸から必死に漕いでいる方向とは違って遠く遠く離れていくだけでした。

ときどき、今とは違った季節の、春だったら秋の、冬だったら夏の風景を思い出すのです。思い出になってしまえば、悲しかったことも、美しくよみがえるかもしれません。

それでは、私と一緒に、晴れていた、カラカラの風が気持ちのよかった、冬の朝のことを思い出しましょう。

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