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【BORDER .4】20代から30代、そして40代へ

20代から30代、そして40代へ / 斉藤 慶司 (KINEMAS,RenS Music School 代表 / Drums )

2020年、この年は世界の動き方が大きく変化した年として記録されていくように思う。新型コロナウィルスが及ぼした影響はあまりにも大きく、我々の生活環境や生活様式に対して変化を促しているように思えてならない。

今回、「BORDER(境界線)」をテーマに文章を書こうとした時、今現在あまりにも沢山の境界線上にいることを改めて思い知らされた。コロナ前/コロナ後、オフライン/オンライン、営業自粛/対策営業、前進/撤退、挙げ出せばキリがない。それぞれに対して思うことはあるのだが、自分自身を見直してみたとき、ふと気付くことがあった。自分の人生を進めていく上での考え方や生活環境が、おおよそ10年スパンで変革していっているように思う。

僕は、来年2021年には40歳を迎える。40歳・・・!!子供の頃に思い描いていた40歳とは全く違う未来となったが、この節目を迎えるにあたり、自分の歩んできたそれぞれの年代(10代/20代/30代)に境界線を引いて、自分語りをしてみようかと思う。これほど自己満足な行為もなかなかないが、こんな機会でもなければ書くこともないかと思うので、ご容赦いただきたい(笑)。


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まず、10代から20代への境界線。
一般的には成人式を迎え、大人の仲間入りというイメージかもしれない。だが、僕はその部分よりも”就職する”ということの方が大きいと思う。高卒/大卒/大学院等、様々なケースがあるので必ずしも20代への変化のタイミングとは限らないが、社会というものを意識するのはこの時期なのではないかと思う。

僕の場合はどうか。まず、大学進学に伴い地元茨城から京都へ移住した。これは大きい。なぜか僕は関西が好きで、高校時代から京都に住むことに憧れを持っていた。自然、一人暮らしとなる。大きく生活環境が変化したが、学生時代は親からの仕送りもあり、自立という観点から見るとそれほど大きな出来事ではなかったかもしれない。

とはいえ、今も関西に住み、おそらく今後も関西を根城に活動していくであろう現状を考えると、この関西への移住という選択肢は僕の人生において一つの大きな分岐点となったことは確か。


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さて、大学時代はほぼ毎日ドラムを叩き続けるような生活を送っていたわけだが、その中で就職活動の波が来ることとなる。なんとか大学卒業までは漕ぎ付け(一年留年はしたが)、周りは大学院への進学か就職かの道をしっかりと歩んでいく中で、僕自身は全く就職活動ということをしなかった。ドラムの師匠の元で、師匠の運営する音楽教室にドラム講師として雇ってもらうことが僕の就職活動だっただろうか。バンド活動とレッスン活動を行なっていく形となったわけだが、例えば一年目初月の個人の売上はおよそ1万円。月で、だ。生活できるわけがない。当然何か他の仕事をしながら音楽活動をすることとなる。いわゆる、フリーターとミュージシャンの姿を行き来しながら生活を行なっていた。

僕にとってこの20代という時期は、ミュージシャン、ひいては斉藤慶司個人として生きていくための下積みとなった時期だった。ジャズの世界でスタートしたミュージシャンの活動を、あるタイミングからギターロックの世界へ足を踏み入れ、バンドマネジメントやレーベル運営にも素人ながらに手を出し始めた。レッスンに関しては、様々な音楽教室や専門学校などに出入りし、少しずつ生徒さんの数も増えていった。

とはいえ、生活収入のほとんどはアルバイトに頼る時期が続いた。がっつり働くあまり、バイト先の宅配ピザ屋で店長までやらされる羽目に。ここでの仕事、電話応対/新人研修/アルバイト面接/広告チラシ配布計画などなど、30代にスタートする事業に向けてのノウハウを少なからず得られたことは大きかったように思う。生活のためにやっていたことが、自分のやりたいことに直結して役に立っていくことなど、この時期には想像もできていなかった。


ワゴンズ

ワゴンズ

20代から30代へ。
この大きな分岐点は、一番力を入れてきたバンドの活動がストップしたことだった。正直、収入としては負担でしかなかったもの、とはいえ自分自身のやりたいことを実現させるために必要であったものが活動休止となり、暮らし方を変革せざるを得ない状況となった。このタイミングで、思い切ってアルバイト生活から脱却。レッスンとしてそれなりに収入があったこと、そして個人のミュージシャンとしてより多くの仕事を請け負うための決断だった。

仕事を増やすために、10年住み続けた京都を離れ、大阪へ移住。下積みを行なった京都との関係値は保ちつつ、大阪でも活動を行いやすいように生活の拠点を移した。

何とかかんとか新しい生活で生きていけるようになり、新しいバンドにも加入。そして音楽教育でやりたいことをより実現化していくために、自身が運営を務める音楽教室を開業した。それにより、関わる人間の数も変わり、負う責任の幅も種類も大きく変容した。


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この30代という時期が20代と大きく違う点は、「音楽で飯を食う」という当初の目標を少なからず達成できたこと。自分自身が”音楽”というワードに対して、できる業務を具体化していく、もっと言うとしっかりマネタイズしていくことだったと思う。まだまだ暗中模索・試行錯誤の毎日だが、チームや仲間も増えイベント制作やセミナー運営など、できる業務の範囲も広がっている。

さらに、ミュージシャンとしての活動にもひとつの方針が生まれ、やりたいことをやり続けるための動きとなった。KINEMASで台湾や韓国などの公演に参加したことも、その大きな象徴として現れている。


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さて、来年に僕は30代から40代へとまたひとつ階段を上がるわけだが、ここで更なる大きな動きが生まれてきている。まさに今、だ。世界的なコロナショックによって、社会状況や働き方が大きく変化しようとしている。音楽業界もその影響は甚大で、このタイミングで営業形態を変えたり、閉店に追い込まれたりしているケースも珍しくない。

そんな中、僕は一歩前に進む決断を行なった。40代は、その中でどんな動きができるのか、問われていく時期となるだろう。やりたいことをやるため、助けたい人を助けるため、社会に対して自分が提供できることを最大に行い、もがき続ける日々となるだろう。

何れにせよ、時間は進み、社会は変わっていく。変わらぬ情熱を持ち続けながら、またひとつのボーダーラインを越えていこうと思う。


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