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【BORDER .1】右手から左手に缶ビール

右手から左手に缶ビール / 横井 美紀 (KINEMAS,大瀧ヌーバンド / Keyboard )

今この場に立つ自分は常に何かの境界線の上なのだろう。
右手側は未来。左手側は過去。
右手側にある未来は、言うまでもなく真っ白な状態である。
今、自分が何を選択するかにより未来が変わる。一秒一秒更新されていく。私が今右手にとった缶ビール。一秒前の私の未来が変わった。
皆必死で考えている。自分は何をするのか。何ができるのか。私もそうだ。時代が大きく動いた今、私は実は明確な答えが出せていない。
世の中の生活の方法が変わりつつある今、自らも対応しないといけない部分、変わらないといけない部分がある。
かなりせわしなく日々を過ごしていた私にとっては、時が止まってしまった感覚がある。
しかし世の中は常にせわしない。こうしている今だって世界はめまぐるしく変わっているであろう。
私も次は何をするのか。そろそろここから動き出さねばならないが、動き出す前にせっかくだしもう少しゆっくりしていこう。
今回BORDERについて書き留めるということが決まり、
あえて左手側について、ゆっくり缶ビールでも呑みながら何かを書いてみようと思う。


かなり古い記憶を辿ってみる。ぽつぽつと思い出してきた。
記憶の方法は人によって異なるのだろうか。
私は昔から活字が苦手である為、『この人からこう言われた。』『あの本にこう書いてあった。』などといった記憶がとても少ない。というかない。
言われたことを正確に言える人、読んだ本の内容を覚えている人、映画のあらすじをしっかり文章化して説明できる人などがいるが、実は本当に尊敬している。

私の記憶は”五感”で感じたものがざっくりとおさめられていることが多い。皆はどうなのであろうか。

『視覚』『味覚』『聴覚』『嗅覚』『触覚』
私の記憶は写真のように断片的に頭の中に貼られている。そしてほんのちょっと動く。5秒くらい。自由に取り出せる記憶はほんの一部である。
いったい何を基準にそれを選んだのだろう。記憶とは不思議が多い。なぜそれを選んだ自分よ。
もちろん、覚えていたい事、大切な事、意思を持って選んだ記憶もあるが、そういう事でさえも、全てを思い出すことはなかなか難しいものである。

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私が思い出す『視覚』。小さな文房具屋であった祖父祖母の家の入口。レジの横の小さな扉を通らないと家に入ることができない。大きくなった私は少しかがみ込んで入らないと、頭をぶつける。今やその建物はない。
祖母に連れられて行った海沿いのお墓参り。海風でいたるところが茶色く変色している。海の匂いも懐かしく薫ってくる。
今やどこの公園かさえも分からない丘の上にある長い長いローラー付きの滑り台。今見たらそんなに長く感じないのだろうか。
祖父祖母の家の近くの精肉屋さん。2〜3分程歩いた先の小さな商店街にあったはずだ。そこのホワイトウインナーの味が今でも忘れられない。白い紙袋に5センチほどの小さなウインナーがいくつも入っている。歩いて帰る時に、かさかさっと紙袋の音が鳴る。家に帰ってフライパンで焼いてもらう。独特な匂いと、パチパチとした音。そしてあの味はなんだったのだろうか。
これは『味覚』や『聴覚』『嗅覚』の記憶でもあるのか。
私の五感フル活用のホワイトウインナー。本当にすごいな。もうきっと二度と食べる事が出来ないであろう。
隣町の駅で売られていた、あのシュークリームの味も忘れられない。何十年か前に店舗がなくなったらしい。
母親の恐ろしく甘いお稲荷さんと卵焼き。祖母のごろごろとしたカボチャが入ったコロッケ。小さい卵の黄身だけの部分が連なった甘く煮たやつ。もはや何か説明ができていない。笑

おっとあぶない。気づいたら食ばかりじゃないか。食い意地張っているな。

(いや、呑み意地だろ。と心の中で思ってしまったそこの君。。。うん。それも間違いない。)

話を戻そう。
少し食い意地を発揮してしまったので、ここからはスピーディーに。


私の『聴覚』としての記憶は人の声色であることが多い。(楽曲とかじゃないのかよ。と、自分でも思うが。)
今身近にいる人の声は記憶から割とすぐに引き出すことができる。なんとなく頭で声を鳴らせる。
あの人はどんな声だっけ。あの人も。あの人も。。。おっと。思い出したくない人の声まで引き出そうとしてしまった。。。とっくに抹消している。
『嗅覚』や『触覚』は、改めて出会った際に「あ。なんか懐かしい。」と思い出すことが多い。
季節の変わり目の風の匂い。生温い風が自分の肌を通り過ぎる感覚もすごく懐かしく感じる。
冬のスキー場で夜中にたくさんの車から漏れるガソリンの匂い。

記憶とは不思議なものである。皆はどうなのであろうか。

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今回はかなり昔の記憶を辿ってみたが、ここ最近を振り返ると、本当に充実した日々を過ごせていたと思う。
そうやって何十年と生きているが、その一秒一秒を細かく覚えている事はできない。
生きるにつれ、私の中にも断片的な記憶の写真は多くなっている。それに伴い昔の記憶はどんどん曖昧になっているのだろうか。
本当は一秒一秒忘れずに覚えていたい。が、それは難しい話だ。

しかしながら今ここにいる自分は、紛れもなく、
今や断片的な写真になってしまった記憶を、一つ一つ経験してきたひと続きの自分である。
生まれてから途切れることなく続いてきた結果の自分である。
本当に境界線を作ることはできない、ボーダーレスだ。

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今ここに立っている自分はこれからどのように続いていくのだろうか。何を切り取って記憶として残していくのだろうか。
それも結局は今の行動次第になってしまうのだろう。
これからも覚えていたい記憶が増えますように。記憶の写真が増えていきますように。
左手に持った空の缶ビール片手にそう思う。 


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