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私の日常と言うか人生は

初めまして津熊照美です。

私は22年前、

33才の若さで未亡人になった。

42才だった主人はスキルス胃癌で他界した。私の人生はそれから、そのことに依って、そんな人生になったのだけど、

そのことがきっかけで、結婚のお世話をするようになった。結婚相談所カインドと屋号をつけて、凄い細さでw長く続けて来た。

私の日常と言うか

私は土日はお見合いの紹介で大阪駅周辺のホテルに行く。ホテルグランヴィア大阪がメインで、大阪新阪急ホテルやヒルトン大阪とか。

たまに難波のスイスホテルや

天王寺大阪マリオット都ホテルとかもある。それを17年以上続けて来た。細く長くの歳月だけど、普通に生活をしていたら、経験出来ないことを多々、経験出来た。

医師の会員のお見合いで、両家揃ってのお見合いに同席させて頂いたりもしたし、70才以上の会員のお見合いを組んで、成婚して貰った。

資本がないので

私は自分で手書きのチラシを作ってポスティングした。

そして会員とご縁があったりしたのだけど、大きいおうちにお宅訪問したいなあと笑、

高級住宅街にポスティングして、反響があったこともあった。お手紙を頂いたそのかたも高齢のかただったけど、お手紙には春の園遊会に招待されたことがありますと笑書いてあった!大きいお宅へ訪問させて頂いたそのかたは、

第一人者と言うあるジャンルで成功したかただった!~

非日常的で、平凡な私とは違う、豊かなおうちの方のご結婚のお世話をさせて頂いている。家政婦は観た的な(^_^;)そんな感じであったりもするのだけど、

もう子供さんがどれくらい誕生したかな、小さい影響力でも、世の中に命の誕生があるご縁を結べていたり、することを思う。

私は私の影響力の小ささを思うのだけど、主人が生きていたら、感謝も分からないままに、不足いっぱいなパート主婦の人生を送っていたのだろうと思う。

私の両親は私が6歳の頃に離婚して、始めは私は母に手放され、父と暮らしていたけれど、母が寂しかったのだろうと思う、小学校2年生の頃に母の元に呼び戻された。母は昼夜働く人で、私は近所のおばさんのおうちに預けられた。おばさんのおうちにはお嬢さんがいて、私が邪魔で足を叩かれたり、怯えながら、生活をしたけど、

母には言えず、転校した学校には馴染めず、辛い日々であった。そんな私に救いが出来た!母は再婚をすることになり、

父はヒステリーな母とは違い、思いやりがあって、優しい人だった!父は外食チェーン店の専務をしていたのだけど、どんな理由だったのか分からないけど退職して、給料の少ない会社員になった、母はお父さんが専務だったから、結婚しようと思ったのだと思うけど、それが気に入らないのか、

昼も夜も働き続けて、私は父と夕飯を食べたりして、母親のように父に思いやりをかけて貰って成長した。父はスケートや遊園地に連れて行ってくれた。母は仕事かうちで寝ていた。

そして、ヒステリーを起こす母の避雷針に父はなってくれた、父が居なければ、3時間位、怒鳴り散らす母の攻撃を私が受けないといけなかっただろう。今も父を思うと感謝で涙が出る。

有り難うお父さんと思う。そんな生い立ちを私は不幸と思っていて、もっと辛い人も沢山いるのに、いつまで経っても不幸と思っているし、

そして結婚しても11年で33歳で未亡人になったと、不運であると思っているだろう。

世の中にはもっと辛い人がいるといつも思い直す。ああ、なんのこっちゃだ。

そしてnotoを始めたきっかけはテレビで雑誌スパの内容を放送していて、ブログを有料に出来るんだと思ったからで

私のブログを有料で呼んで下さる人がいたら良いなと(^_^;)(お金に困っていないし、執着も薄いと思うけとわ)それで、始めてみようと思ったのだけど、いつも書いているアメーバブログの内容じゃなくて、

面白いことを書けたら良いなと思うし、楽しいお友達が出来たら良いな~

私は影響力の大きい人になってみたいんだなあ~宜しくお願い致します!です。

ではまた書きますねからおやすみなさい~






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