博士がゆく 2話同時掲載! 第3話「憂鬱な独論発表会」第4話「わからないことはわからない」

ライター 細胞くん

~第3話「憂鬱な独論発表会」~
「えっと…Figure 1の結果がこうだから…。Figure 2でこの実験をするのか?」
 
「そんでこの実験はどうやったんだ…?」
 
博士(ひろし)は今日も研究室で、孤独に論文と戦っていた。次の読論発表会まで1週間をきったが、5つあるうちのFigureの2つ目までしか到達していない。間に合うかどうかはかなり怪しい。
 
「そもそもなんで英語なんだよ」
 
研究の共通言語は”なぜか”英語だ。そのためどの国で研究をしていても英語で論文を読まなければいけないし、書かなければならない。英語論文を書くというのは、論文を読むことに苦戦している博士が今考えるべき問題ではなさそうだ。
 
「あーっ!もうわからん!」
 
研究室で自分に与えられたデスクを離れて給湯室へ向かう。とりあえずインスタントコーヒーでも飲んで落ち着きたい。棚からコーヒーを取り出し自分のカップに入れてお湯を注いだその時。注ぎ口からあいつがにゅるっと出てきた。
 
「こんばんはひろし君。君はいつもこんな遅くまでよく頑張るね」
 
「またお前か」
 
黒い液体の上で青い謎の物体が気持ちよさそうに浮かんでいる。さすがにこのコーヒーを飲む気にはならない。
 
「今日はまたなんでこんなに遅いんだい?こんな時間にコーヒーを飲むということはまだ時間がかかるみたいだ」
 
妙に察しのいいことに少しだけ感心しながらカップをシンクのカウンターに置いて、博士は向かいにある壁にもたれて腕を組んだ。
 
「来週読論発表会で紹介する予定の論文が一向に読み進まない。Figureから次のFigureへの論理展開が理解できないんだ」
 
「どの雑誌に掲載された論文なんだい?」
 
「え?わからないな。Google Scholarで単語を検索して一番最近出版された論文を適当に選んだ」
 
「それはよくないね」
 
「そうなの?」
 
「うん」
 
「読論発表会では必ず有名な、古くから続いている雑誌に掲載された論文を読むべきなんだ」
 
「長く続いている雑誌というのは、変化する時代の中でその価値を保ち続けた科学雑誌ということだからね」
 
「そうだったのか」
 
ポケットからスマホを取り出して自分が読んでいた論文の雑誌の名前を検索する。1番最初の検索結果に出てきたサイトにジャンプして「About」を見に行ってみると2015年に発行され始めたようだ。
 
「でもインパクトファクターは高かったんだけどな」
 
「いくつだったんだい?」
 
「5だったかな」
 
不安になり雑誌名の後に「Impact factor」と付け加えて検索してみる。Googleが雑誌のインパクトファクターは5.086だと示していた。
 
「インパクトファクターも大事な指標だけど、その時の人気や自己引用によっても大きく変わるからあまり信用しない方がいいよ」
 
「そもそもインパクトファクターを計算しているトムソン・ロイターがその計算方法を明らかにしていないんだ」
 
「だからインパクトファクターだけに頼って雑誌を選ぶのは危険なんだよ」
 
「そうだったのか。じゃあ実際にはどんな論文を読めばいいんだ?」
 
「CellかNature、またはScienceを読もう。その方がひろし君の勉強にもなるし、発表会にふさわしいよ」
 
「Cellは創刊から45年、NatureとScienceは創刊から100年以上たっているしね」
 
「そんな有名雑誌を読まなくちゃならないのか。Figureの数も多いしそっちの方が時間がかかるんじゃないのか?」
 
「ひろし君が論文を読み進まない理由は何だったかな?」
 
博士はそこで思い出した。
 
「Figure 1からFigure 2への論理展開が意味不明だったから…」
 
「Cell、Nature、Scienceではそんなことはほとんどないんだよ。なぜなら投稿された論文に対して審査がしっかりされるからね。それも創刊から長く続いている雑誌を選ぶことを勧める理由さ」
 
「どういうことだ?」
 
「審査工程が雑でいい加減な科学雑誌が、長い間親しまれるわけがないとは思わないかい?」
 
博士は納得したが、発表会は来週にせまっているし今から発表する論文を変えるとなると、1週間は忙しくなりそうだ。
 
「そうなると早く論文を見つけないと」
 
持たれかけていた壁から離れて、給湯室を後にした。
 
「ひろし君の発表会がうまくいくといいな~」
 
ガラッ!と給湯室の扉が開いて博士が戻ってきた。コーヒーを流しに捨ててカップを洗う。細胞くんのことはすっかり忘れてしまっているようだ。
 
「あ~れ~」
 
排水溝に流れていった細胞くん。次回はどんな悩みを解決してくれるかな?
 
~第4話「わからないことはわからない」~
「どう考えてもコントロールが足りない」
 
博士(ひろし)は指導教員に指示された実験のプロトコルを作成しているが、どう考えても1つコントロールが足りない気がする。
 
「でも、先生はこのコントロールはいらないって言っていたな」
 
1時間ほど前に、ようやく新しい抗原抗体反応の条件検討に成功したウェスタンブロッティング。それをみた指導教員は興奮しながら次のやるべき実験をまくしたてたが、博士はそれを完全に理解することはできなかった。指導教員に圧倒されて、よくわからないままうなづいてしまった部分も実はかなりある。
 
指導教員の話を聞きながら取っていたメモを見てみるものの、理解していないままとったメモにどれほどの価値があるだろうか。博士はラップトップに視線を戻し、Googleに答えを聞こうとするも、Googleに聞くべき質問も思いつかない。頭を抱えていると、画面のポップアップが急に開いた。
 
「ん?」
 
博士がいぶかしげにポップアップを確認すると、そこにはあの青いやつがいた。どうやってこんなところに入ったのか。ご丁寧にチャット機能がついている。
 
「やぁ、じゃない。どうやってそんなところに入った?」
 
チャットウィンドウに書き込んでみると、返事が返ってきた。
 
「さっきひろし君がダウンロードした論文に紛れさせてもらったよ」
 
やり口がウィルスだ。見た目は細胞のくせに。そんなことを考えていたらチャットウィンドウが動いた。
 
「実験がうまくいったのに浮かない顔をしているね。今日はどうしたんだい?」
 
「先生に次の実験を指示されたが、プロトコル作成がうまくいかない」
 
チャットウィンドウに返事をぱちぱちと打ち込んでいく。
 
「それはなぜだい?」
 
「先生が必要ないといった実験コントロールが、なぜ必要ないのか理解できない」
 
こいつもキーボードを押しているのだろうかと、ふとおかしなことを想像したが、すぐにその想像をかき消した。こいつはウィルスだった。
 
「そうなんだね。先生にはそのことを聞いてみたかい?」
 
「ミーティングの時に質問した」
 
「先生は質問に答えてくれたけれど、ちゃんと理解できなかったんだ」
 
「それでラップトップの前で頭を抱えていたわけか」
 
かれこれ1時間ほど、その答えを探すために論文を探している。その時にダウンロードした論文にこいつが混じっていたんだな。
 
「先生に、もう一度説明してもらうよう頼んでみたかい?」
 
「そんなことできるわけないだろ!」
 
「なぜだい?」
 
「一度説明されたことを、もう一度説明するように頼んだら、先生の説明がわかりづらかったみたいじゃないか」
 
「それに、こんなこともわからないのか、って失望されたくない」
 
返事を打ち込んでから博士は周りを見渡したが、他のメンバーは授業に出席している。タイミングがよかった。こんなチャット画面を誰かに見られたくはない。
 
「それは違うよひろし君」
 
「わからないときはわからないと言っていいんだ」
 
「わからないことはわからない」
 
「わからないまま放置したり、わからないまま動きを止めてしまったり、わからないまま実験を進めたりする方がとても危険だよ」
 
「先生が給湯室にきたときにでもつかまえて、質問してみたらいいんだ」
 
「失望されないかな?」
 
「しないさ。ひろし君の先生だって最初は何も知らなかったんだ」
 
「もし失望されたら、あの先生とは縁を切るべきだ。無知だったころの自分を忘れ、自分の下手な説明を棚に上げ、学生の学ぶ意思を尊重しない先生のもとでは、ひろし君は成長できない」
 
「僕がほかの先生のパソコンに侵入して、ひろし君にぴったりの先生を見つけてきてあげるよ」
 
「それはやめてくれ」
 
ふっ。と少し笑いがもれた。
 
「わかった」
 
「先生を見かけたらもう一度聞いてみるよ」
 
そうチャットに書き込んで、大学から支給されたアンチウィルスソフトを起動する。
 
「なにをする気だいひろし君?」
 
博士は答えない。定期的にラップトップのクリーンアップをしておくに越したことはない。ソフトの「クリーンアップ」をクリックして博士は給湯室へ向かった。
 
画面の細胞くんが少しずつくずれていく。
 
「そんな~」
 
アンチウィルスソフトに消されてしまった細胞くん。次回はどんな悩みを解決してくれるかな?

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