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【第6回】空間/場所読書会 報告記事

 「近代体操」では「空間/場所」をテーマに読書会を行なっています。成果として雑誌を制作することが予定されていますが、その過程自体で読者を巻き込み、私たちのインプットの過程自体を外に開こうと考えています。

 本記事は、その読書会第6回(11月27日)のレポートとしての、古木獠と安永光希による報告のまとめです。

 ここでは課題本の読解における骨子をまとめるにとどめますが、報告の際には多くの論点が展開され、質疑でもさまざまな意見が交わされました。本レポートで関心を持たれた方は、noteのサークルからご参加いただけます(本読書会の趣旨については、下記の記事を参照ください)。

失われた空間を求めて——ハンナ・アーレント『人間の条件』を読む(古木)

古木の発表では、政治哲学の古典『人間の条件』における空間——公的空間と私的空間——の問題を扱った。


よく知られているようにアーレントは人間の活動的生(vita activa)を労働(labor)、仕事(work)、活動(action)の三種類に分ける。生命維持・生物としての人間の生(労働)、人間の住む場所・人工的な世界を形成するための努力(仕事)、複数の人間同士のあいだで直接に交わされるコミュニケーション(活動)である。

このような活動は、つねに一定不変なわけではなく、時空間によって変化しうる。アーレントは、こうした活動の範型を古代ギリシャに求めている。アーレントによれば、その時代、私的領域(家庭=oikia、経済)と公的領域(ポリスにおける政治的生活)のあいだには明確な区別があり、活動と言論は政治的生活に属していた。

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一方、近代以降、国民国家の登場とともに、私的領域と公的領域、経済と政治の混合が起きる(「国民経済」、「社会経済」、「集団的家計」)。ここでは、生命維持に繋縛された「家族」(支配による不自由・不平等な空間)と、そこからの自由な領域としての「ポリス」(支配も被支配もされない平等な空間)の区別がもはやつかなくなった。政治経済(ポリティカル・エコノミー)とは、公的空間の「家」化(=国民国家化)、「社会的なもの」の競り上がりの結果生じる結合ほかならない。

このような変化はいくつかの帰結を生む。たとえば、無人支配(官僚制)の誕生、社会の画一主義化、そうした社会から絶対的に逃れた親密な私的空間の特権化(ルソーならびにロマン主義者たち)、などがそれである。かくして、活動の領域は減退し、労働による生命維持が社会の全体を占めるようになる。アーレントが求めるのは、無批判な労働の受け入れ(=〈労働する動物〉への退化、単なる生命主義)でも私的空間の絶対化ではなく、活動の場としての公的空間——「現われ」の空間——の形成である。

必要なのは、複数の他者たちが、それぞれの遠近法的世界観を保持しつつ、ひとつの共通の世界に関わることである。しかしそのような場所はいかにして可能だろうか。ここで古木は、山本理顕によるアーレント読解を批判している(『権力の空間/空間の権力』)。

古木によれば、山本は建築家として、アーレントにおける仕事(work)をあまりに強調しており、「活動」を軽視しているのではないか。

アーレントは、物理的な介在者ではなく、あくまで行為と言葉によって結ばれる人間関係の網の目を構想していた。したがって適切な建築空間や適切な法制度を設計すれば——それは必要条件ではあるが、十分条件ではない——公的空間ができるのではないのである。人間同士の活動は、制作の力に加えて、「共生の様式としての活動と言論」への信頼を必要としているのである。

リチャード・セネット『公共性の喪失』(安永)

安永の読解したセネット『公共性の喪失』においても、アーレントの影響のもと、公私の問題が扱われている。セネットは、18世紀における公私の分断の分析から始めている。


セネットによれば、18世紀は、礼儀の要求(公)と自然の要求(私)のあいだの峻別が保持されていた時代である。セネットの独自性は、こうした社会の在り方を劇場と都市の類比性から分析していることだ。この二つの「場所」の共通点は、見知らぬ人に向けた行為遂行(演技あるいは儀礼)が求められていることである。人々は自身の感情、経歴、地位を包み隠し、ある種の仮面をつけて会話するのである。

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(ここでモデルとされているのは、例えば、18cイギリスで流行したコーヒーハウスである)

このような「社交」に対するルソーの批判はよく知られているだろう。ルソーは知識人たちの社交の現場を嫌い、真の自己を内面に求める。アーレントと同様、セネットにおいてもルソーは「親密さ」の思想家として目されることになる。

さて、しかしアーレントの分析にもあったように、こうした区別は十九世紀に入って、産業資本主義の成長と宗教の没落によって変化を被る。物質的条件の変化に相関して、人々は都市へと集中し、定住を始めるのである。都市は過密化する一方で、人々は階級ごとの棲み分けを始める(階級の混じり合わない同質的区域の発見)。また資本の論理に則る効率的な売買を通じて、商品はフェティッシュ化する。

このような過程はまた世俗化の進行でもあった。したがって、19世紀の人間たちにとっては、現象はその背後に控える神的な本質の顕現ではなく、まさに直接的な体験となり、感覚と知覚が重要視されるようになる。セネットはこのことを対人関係にも応用する。外面は社交のための単なる仮面に過ぎなかった18世紀とは異なり、あるひとの外面的な印象が、まさに「個性」そのものと見なされるようになるのである。

19世紀の公的人間は、外的な印象をそのまま自身の個性とみなされることを恐れ、感情表出をとどめ、沈黙する。人は「表現者」ではなく「表現の目撃者」たらんとするだろう。また政治家は「俳優」として、その「個性」=「外面」において判断されるようになるだろう。

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かくして「社交」のコードを失った人々は、ナルシシズム(=自分にとって何を意味するか?)のみを盾にするようになり、仮面を捨て、お互いを開くこと(ホンネの共有)こそによる同質性のみがコミュニティの条件と化す。セネットは、これを18世紀的社交の反対物としての「破壊的」コミュニティとみなしている。それは、共通の個性・集団的個性へのみ傾倒し、「共同の利益」の最大化を妨げるのである。

これに対して、セネットは未知のものとの出会い、移動を重要視することで、こうした19世紀以降的な状況を乗り越えようとする。地方主義や「小さな共同体」主義にみられるのとは反対に、セネットにとっては、人々の社会的関係は親密性によって結ばれてはいけないのである。資本主義と世俗主義が生んだ弊害を乗り越えるためには、人々の距離感の調整が必要なのだ

こうしたセネットの態度は、アーレントと似通ってはいるが異なっている。アーレントは古代ギリシャを範型として議論したが、セネットにとっては、18世紀的社交こそが公共空間のための必要な「棲み分け」とみなされているように思われる。

私たちが現在の社会を改善し改革しようとするとき、いったいどの「空間/場所」を範型とすべきか。両者いずれにせよ、こうした空間の問いが歴史の問いとして、公共空間の「変動」の歴史への訴えを含んでいることは示唆的である。

(文責 - 左藤青)

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