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志田という男 前編

僕は初日から難題を押し付けられた!

4月下旬、僕は大型製造工場へ出向になった。出向と言っても10月末までの半年間だ。すでに7人の社員が出向していて、久しぶりの再会となった。
初出勤の朝礼後、課長から言われた。
「松平君、志田のことは君に一任する」
「ふぇっ?」
僕は頓狂な声を出してしまった。
「志田友作と言います」
振り返ると志田が立っていた。
志田は眼鏡をかけていて色白でヒゲが濃かった。志田とは初対面だ。色々と噂は聞いているけど。
「本社安全課の松平です」
僕は軽くこうべを垂れた。
「松平君は先月まで、各現地に赴いて現場責任者をしていたんだ」
課長の言葉を聞いた志田は、僕に向かって深々とお辞儀をした。志田の頭頂部はかなり薄くなっていて、思わず笑いそうになる。
僕は志田より入社が3年早いけど、年齢は志田の方が2歳上だ。
「志田、忙しいから松平君に来てもらったんだ。それを忘れるな」
志田は口を尖らせながら小さく頷いた。志田よ、そこは返事をするところじゃないか? 課長に対して口を尖らすとは、日頃からどんなコミュニケーションを図っているのか心配になる。
だけどまさか、志田の面倒を見ることになるなんて………。

まずはRKYと作業準備から

ヘルメットを被った僕たちは、事務所をあとにした。工場内に設置されている資材置き場に向かった。
「志田さん、先に行ってください」
工場内の事が何も分からない僕の後ろを歩く志田に、僕はイラっとした。
「そ、そうでしたね」
志田が僕の前を歩き出した。志田の左右に揺れるプリ尻が、さらに僕の怒りに拍車をかける。少しは鍛えろよ。まだ30歳だろうに。

場内は天井クレーンが忙しく稼働しており、製品を研磨する鍛冶屋さんや、溶接中の職人たちも目に付く。安全課に所属してから初めての工場内勤務となる僕には、きっと学ぶことが多いだろう。これは成長するチャンスだ。

まずはRKY(当時はKY、危険予知活動と呼んでいた)からだ。
ホワイトボードに書いていく志田の字は、小さくて右肩下がりで読みづらい。すぐ漢字も間違えるし。
「僕が書きます」
僕は志田からホワイトボードマーカーを奪い取った。志田がわずかにニヤけた。その際、志田が洟を出した。しかも青っ洟だ。汚い。
ホワイトボードを書き終えた僕は、所定の位置に立てた。
「志田さん、お願いします」
志田がホワイトボードに書かれた作業内容、危険要因などを読み上げていく………。
「志田、声が小さいぞ」
僕の後ろで、課長が腕を組んで立っていた。
「松平君、悪いが読んでくれ」
「ふぇっ?」
僕は最初から大きな声で読み上げた。
RKYを終えると、課長が僕の耳元で言った。
「志田には虚言癖がある。注意してくれ」

今日の作業はタービンロータの目視検査。
現地は保守点検がメインだけど、工場では製造時の検査がメインとなる。
今日の目視検査は昨日、現地の火力発電所から返送されてきた、100万キロワットの大型タービンロータだ。
僕は目視検査を行うため、必要な資材を準備している時だった。
「松平さん………き、記録用紙を取ってきます」
志田がボソッと言った。
「志田さんが戻って来るまで、僕は何をしていればいいですか? 工場内も一人作業は禁止ですよね?」
「もちろんですよ。あちらの喫煙室で一服しておいて下さい」
志田が早歩きで事務所に戻って行った。ここから事務所までは300m以上離れている。いくら何でも記録用紙を忘れるとは、本末転倒だ。
しょうがないので僕は志田に言われた通り、喫煙室に入ってタバコを吸った。
喫煙室のドアが開いた。
「一服にはまだ早いんじゃないのか?」
現場パトロール中の安全担当者から、指摘を受けてしまった。
「志田の野郎………」


まさかここまでとは………。

30分後、志田が戻ってきた。
事務所までかかっても往復10分程度だ。つまり志田は、記録用紙を用意し忘れていたということになる。慌ててパソコンから打ち出して、さらにコピーしてきたのであろう。そうじゃないと30分もかかる訳がない。
志田が呼吸を整えてから言った。
「すいません、ウンチしてました」

10時のチャイムが場内に響き渡った。
「一服しますか?」
志田がにやけながら言ってきた。
「しませんよ」
僕は志田からバインダーをひったくった。

ここからは酷かった。
志田は目視検査で使用するコンベックスと金尺まで、事務所のロッカー室に忘れていたのである。先ほど記録用紙を取りに戻ったのにも関わらずだ。
仕方がないので僕が目視検査をしながら、タービンロータの動翼部に認められた浸食部の位置と寸法を計測し、志田に伝えた。
「す、すいません、松平さん、今どこの寸法ですか?」
志田の声は本当に小さくて、現場では聞こえづらい。
「タービン側、L-oの入口側、5-4です」
「える…ぜろ?」
「最終段のL-oですよ」
「あぁ~はいはい」
志田の返答に、僕はイラっとした。
いつも使っている専門用語だろう、という言葉を僕は飲み込んだ。
「えるぜろの出口側ですよね?」
「入口側だってば!」
僕は声を荒げてしまった。
僕は志田からバインダーをひったくると、自分で記録用紙に記入し、志田にバインダーを戻した。
志田の唇が尖っていた。

通常の3倍の時間を要したものの、浸食部の寸法取りが終わった。10時の休憩をしていたら午前中には終わらなかっただろう。
とにかく、志田が頓馬すぎる。
後はデジカメで浸食部の写真を数枚撮ったら、目視検査終了だ。
志田が電工ドラムをセットした。ぼくはハンドライトのコンセントを電工ドラムに差し込むと、志田に渡した。
L-oとL-1の動翼の間に入った僕は、L-oの動翼の浸食部にデジカメのピントを合わせた。
「もう少しライトを斜め上から照らして下さい」
僕は志田にお願いした。
志田は僕の斜め後ろからハンドライトを照らしている。
「こうですか?」
「いやっ…その角度だと、浸食部が光ってしまって映らないので」
「こうかなぁ?」
「逆ですよ、志田さん」
「難しいなぁ」
ため息をついた志田の吐息が、僕のうなじにかかった。
「臭ッ」
「はいっ? なんですか?」
志田の神経質な声が癪に障る。
「志田さん、いまこう見えているんですよ」
僕はデジカメの液晶画面を志田に見せた。
「あぁ…なるほど」
志田が液晶画面を見ながら持っているハンドライトの位置を調整し始めた。
やっと理解してくれたかと、僕も安堵した。
志田の口臭が、また僕の鼻腔に届いた。
臭い。マジで臭い。
早くしてくれないか。そんなに難しくないだろう…。
「うわっ」
志田が頓狂な声を上げた。
僕は横を見た。
志田が仰向けに倒れていた。
電工ドラムに右足がぶつかって転倒してしまったのだ。電工ドラムを近くに置きすぎたのが原因だ。
僕は気づいていたけど、まさか志田がそこまでの頓馬だとは思わなかった。志田がシンジラレナイという表情で、工場の天井を見ている。
「君、ここは寝るところじゃないぞ!」
最悪だ。
先ほど喫煙所で指摘を受けた、安全担当者に見つかってしまったのだ。志田がすぐに立ち上がっていれば免れたかも知れないのに………。
本当に、本当に、志田が頓馬すぎる。
僕は志田を起こすと同時に、志田の上着ポケットからPHSを奪った。
そして僕は課長に一報を入れた。

5分後、課長がすっ飛んできた。
課長の顔色は真っ青だ。僕たち3人の頭上に、安全担当者からの雷が落ちた。
安全担当者は、どんな些細な事でも安全面について指摘をしてくる。それが彼らの仕事だからだ。現場ではゼロ災害が当たり前。赤チン災害さえ許されないのである。
今回は現行犯逮捕。
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
当然、現場作業は中断になった。

午後からは社内で緊急ミーティングを開催。
志田と僕は始末書を書かされた。

その後、課長と志田と3人で、場内のお偉いさん方にお詫び行脚を実施。
16時、3人で安全担当者から再教育を受けることになった。
その間、志田の唇はずっと尖ったままだった。

翌日の朝礼後、課長が言った。
「松平君、悪いが来週から志田と出張に行ってくれ」
僕の視界が銀色に包まれた。


【後編へ続く】

https://note.com/kind_willet742/n/n279caad02bb7?sub_rt=share_pw

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