Ein dunkler markgraf~堕天の咎

 「ー君にはこれが何に見える?」背にした壁を横目で見ながら彼は画家にそう問うた。
「…はて。大型の鳥の化石のようにも見えますし、それにしてはされこうべは人のようにも見えますし」画家は筆の手を休めることなくそう応答した。
 この落ち着きが彼にはありがたかった。この画家は、ここのところ数年彼を描き続けている。出会い自体は他愛もない。獲物を物色しに町に下りたところで画家に魅入られ、いつものように言い寄られた挙げ句居城へ入れることを許した。
(これで何人目になるだろうか)絵画芸術というものが確立して以来、彼は芸術家の格好の餌食となっている。憑かれたようにポートレートを描き、また神話画のモデルを依頼される。画家が見目好い女性や少年を連れてきて艶っぽいポーズを要請されることもあった。総じて画家達は彼を描きながら昂ぶり、それを抑えるために瀉血を施した。彼はその血をありがたくいただき、数点か仕上がったところで失血により画家達は死んでいく。作品自体は画家達が死にゆくその直前に画商の手に渡り、高く売れて行くらしい。
 今彼を描いている画家は、彼を描き始めてかなり長い。彼と対峙するとき、上気はしているが昂ぶりはしない。年齢のころは壮年と初老の間くらいに見えるが、老練さも感じさせた。(まさかこやつも?)との惟いも過ったが、不死の者独特の気は見受けられず、ただ単に感情の起伏を抑えることが巧いだけらしい。
「これは天使の化石だ」彼がきっぱりと告げた。
「それは可笑しい。天使には肉体がないはずでしょう?」画家が始めて筆を止めた。「天使は霊体だから形がない。形がないものに骨格は存在し得ないはず」
それは御尤もだと彼は返す。だが。

 だがこれは紛れもなく天使だ。地に堕り、肉体を得てしまった者。神の怒りの鉄槌を下ろされた哀れな存在。その場にいた彼は同じく堕天として「次」を覚悟した。だが神は彼には何もせず立ち去ってしまった。ー彼は自分の役割を悟った。許された訳ではない。今の所業を、未来永劫伝え遺すという罰を下されたのだ。
「苦しいか」死にかけ天使ー友に声をかける。「見ての通り私は許された。だがもっと重い咎を課せられた。そうでないお前は幸いだ」憎しみの眼を向けられた。「私が憎いか。だが私はもう堕ちきった身だ。お前は辛うじて天使として死ねる。ーだが私は!人間ですらない存在になってしまった!」血が出るほどの叫び声を、滴る血涙を友に浴びせた。喉を切り裂く嗚咽が苦しい。そして彼の血にまみれて、美しい天使の姿のまま友はこと切れ、神の鉄槌に滅されたにも拘わらず塵として散りゆくこともなく、生き物の痕跡を残して時を留めた。

「…まあ、何れにしろ」画家が再度筆を取った。「それが天使の化石であろうとなかろうと、儂はこいつを仕上げますよ。まさかあんたの後ろのそれが実在するなんて思う輩はおりますまい」
画家は悠然と筆を進める。…そろそろこの男をどうすべきか考える時が来ているのかもしれない。此奴はその領域に踏み込んでしまっているのだから。

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